山梨県境川村生まれ。早稲田大学中退。本名・武治(たけはる)。別号・山廬(さんろ)。 山梨の大地主・名家の長男という桎梏のなかで早くから文芸を志し、上京。早大英文科に入学し早稲田吟社の句会に参加、「ホトトギス」にも投句した。
その後、知遇を得ていた虚子の俳壇からの「引退」とほぼ同期間、蛇笏もまた句から遠ざかり、帰郷。だが、故郷での田園生活のなかで虚子の「俳壇復帰」を知り、俳句に還る。1917年、「キラゝ」主宰(後に「雲母」と改題)。1932年、47歳で第一句集『山廬集』を出版。 山本健吉はその『現代俳句』で蛇笏を、「簡勁蒼古重厚とも言うべき句風」をうちたてたと評し、「これは大正・昭和の俳諧史において、一つの偉業として顧みられるであろう。甲斐の山中にあって孜々として磨かれた彼の句風は、現代では文字どおり孤高である。(中略)その気魄にみちた格調の荘重さ、個性の異常な濃厚さは、蛇笏調として俳諧史上に独歩している」と記した。
句集に、『霊芝』『山響集』『白嶽』『心像』『春蘭』『雪峡』『家郷の霧』『椿花集』があり、その句文は、『飯田蛇笏全句集』(1971年)、『新編飯田蛇笏全句集』(1985年)、『飯田蛇笏集成』(全7巻、1994〜95年。以上、いずれも角川書店刊)、『飯田蛇笏全句集』(角川ソフィア文庫、2016年、KADOKAWA刊)にまとめられている。
大阪生まれ。國學院大學卒業。歌人、詩人、古代学・民俗学者。國學院大學教授、慶應義塾大学教授。文学博士。本名・折口信夫(おりくち しのぶ)。
國學院の学生時代から、子規庵の根岸短歌会に加わり、さらに「アララギ」に拠って歌を詠んだが、1925年には超結社誌「日光」に参加。翌26年、第一歌集『海やまのあひだ』を刊行。
大学卒業後、柳田国男に出会い、以後民俗学においては柳田を師とした。國學院、慶應義塾で教鞭をとり、その間に、『国文学史の発生』『古代研究・民俗学編』『古代研究・国文学編』『万葉集研究』などを発表。
歌集に、『春のことぶれ』『水の上』『遠やまひこ』『倭をぐな』があり、詩集に『古代感愛集』、小説『死者の書』がある。
その生涯における著作は、『折口信夫全集』(全31巻、別巻1。1954〜59年)としてまとめられ、また『日本文学史ノート』『日本芸能史ノート』等を含む『折口信夫全集 ノート編』(全18巻、別巻1。1970〜74年)が刊行されている(いずれも中央公論社刊。その後数次の全集刊行あり)。