角川財団学芸賞

  • 2022.01.12更新
    第19回 選考結果について
角川財団学芸賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第14回角川財団学芸賞受賞
『九相図をよむ──朽ちてゆく死体の美術史』(KADOKAWA刊)
山本聡美
【受賞者略歴】
山本聡美(やまもと さとみ)
1970年、宮崎県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。大分県立芸術文化短期大学専任講師、金城学院大学准教授を経て、2010年、共立女子大学文芸学部に着任。現在、同教授。著書に、『国宝 六道絵』(共編、中央公論美術出版、2007年)、『九相図資料集成』(共編、岩田書院、2009年)ほか。本賞受賞作は、第66回芸術選奨新人賞も受賞。

受賞のことば

山本聡美

 ある造形を通じて、それを作り伝えてきた人々の営為をひもとくことは、美術史学の醍醐味である。けれども、私たち美術史研究者が作品の歴史や意味を探索する際に用いる、様式論・図像学・図像解釈学の三つの方法には、その内部に身を置く者にとってさえ難解さがつきまとう。色や線や形によって表象されたものの正体を、言葉で捕捉することは容易でない。垣間見えた作品の意味がただちに別の解釈へと開かれていく刹那、かろうじて掬い取ることのできた何ものかを記述する。その繰り返しから生まれた、私にとってはじめての単著に賞を与えていただいたことは、何よりも、さらなる言葉を紡ぐ勇気につながる。
 本書で論じた九相図には、人が、朽ちてゆく死体の絵と向き合い続けたことで研磨された、生と死にまつわる思想が映し出されている。時代とともに変化するものと時代を超越して普遍的なもの、その両方を追いながら、浮かび上がってきたのは自分自身の生命の形そのものであったとも思う。多くの人や物事に導かれて成った一冊の本が、私自身の存在に承認を与え、いささかの矜持をともなって、美術の歴史を記述し続けることへの責務を自覚させるのである。深い感謝とともに。

選評

「不浄と無常のかなた」 山折哲雄

 九相図とは、死体が腐爛・発酵のはてに白骨化し土に帰るまでを、九段階に分けて描いた絵画である。死の思想が深まった中世に六道絵・餓鬼草紙などとともにつくられた。原形は西域・中国など仏教流伝の地域にさかのぼる。修行の一環としての過激なイメージ観想によって生みだされたものだ。中国天台の『摩訶止観(まかしかん)』や日本浄土教の『往生要集(おうじょうようしゅう)』に古典的な記述が出現する。だが、わが国の九相図はそのリアルで繊細な絵画表現において他の追随を許さない。そのはげしい腐爛・発酵プロセスの描写は、おそらくこの国に固有のモンスーン風土に根ざすものだろう。乾燥した砂漠・草原地帯の文明圏においてはまず見出すことはできない。
 本書の圧巻は、あまたあるなかでとりわけ九州国立博物館に収蔵されている作者不明の「九相図巻」(鎌倉時代)をとりあげ、精細克明に分析し、洞察に富む解読をおこなっているところにある。戦後この国の美術における死と死体をめぐる研究は、西欧世界からの刺激もあって一挙に解禁され、さながら死のポルノグラフィーの観を呈した。だが、その外圧も、この国の伝統的な様式史研究の枠組を突き崩すにはいたらなかった。いぜんとして模倣と追随の悪弊から脱することはできなかったように思う。だが本書の著者は、その高いハードルをのりこえようとする気概をもち、勇気をもってこの「九相図」の心臓部に立ち向かおうとしているようだ。論理は緻密である。文章は簡潔にして要所をはずさない。先行研究に注意深く目を配り、いたずらな叙述の飛躍にふみこまない。にもかかわらず著者は、この九相図的世界観が現代のシャープな日本画家である山口晃と松井冬子の作品に受けつがれていることを見出し、鮮烈なコメントを加えている。
 最後に本書は、つぎのような印象深い言葉を静かに添えてしめくくっている。──九相図は、不浄と無常の表象というだけではない。肉体が腐敗した後に白骨がのこり、想いがのこる。やがて解体された肉体は腐葉土と化して別の生命をうる。九相図とはその連鎖の構造に私たちをつなぎとめるための絵画である、と。
 この作品と作者の誕生を喜び、この作品と作者を推す。


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