松居竜五
修士論文を書いたばかりの頃、和歌山県田辺市の南方熊楠旧邸を初めて訪れ、長女の文枝さんに熊楠の書庫を見せていただいたことは、私の研究の出発点になりました。今回の著作は、それから二十五年以上、関連の研究者とおこなってきた資料調査を基盤にしたものです。長い期間にわたる研究を、このような形で評価していただいたことを大変嬉しく思います。
南方熊楠については、伝説的な逸話や、超人的な活躍がよくとりあげられますが、論文では常に先行文献を明記し、実証的な研究手法を重んじた学者です。若き日の和漢書の筆写に始まり、進化論から得た啓示、そして同時代の人類学の受容と、熊楠はさまざまな先人の仕事を丹念に読み込み、自分の血肉としています。その上で、熊楠は近代科学の限界を認識し、それを乗り超えるための独創的な学問構想を作り上げようとしました。
そうした熊楠の思索を真に理解するためには、遺族の手によって大切に保存された一次資料を分析し、熊楠と同じ本を読みながらその学問構想をなぞるという、こちら側の不断の努力が必要だと考えています。今後は国内だけでなく海外の研究者とも問題意識を共有して、この近代日本最大の知識人に対する研究を、さらに展開していきたいと思います。
「人文学の低迷に警鐘を鳴らす」 山折哲雄
南方熊楠は紀州、酒造家の生まれ。漱石や子規と同世代、東京大学への入学直前に海外に飛び出す。形だけ留学の形をとりながら、米国、キューバを放浪、目にする動植物の世界に心を躍らせ、新種・珍種の発見に我を忘れる。少年時代、すでに和漢の本草学や博物学にどっぷりつかり、伝統知の蓄積が五臓六腑にしみこんでいたからだった。
その知的興奮と快感が英京ロンドンで全面開花。大英博物館で類を絶する文献漁り、尨大な抜書メモを作成し、同時に西欧近代知をむさぼるように吸収摂取する。海外の専門家たちと果敢な論争、交流を重ねて学術誌「ネイチャー」などに発表、帰国する。しかし中央の権威や大学には目もくれず、ふるさとの熊野に隠棲、高野山の土宜法龍に大乗仏教を学んで、独立独歩の学問世界を開拓して、世に知られる「南方マンダラ」の構想にたどりついた。
本書の著者は熊楠の人間と足跡を徹底的に追い、この思想的巨人における西欧的な分析知と東洋的な伝統知の稀有な総合の解明につとめ、かつそのことにみごとに成功している。これまで現代日本を代表する知識人たちが無視し傍観するのみだった問題群を掘りおこし、それを批判的に展開することに没頭してたじろがず、終始、沈着冷静なメスさばきを手放すことがない。二〇年以上にわたる調査研究をうまずたゆまずつづけて、南方熊楠の学問と人間をこの世に再登場させたことに敬意を表したい。
今日、近代知の限界を説く声は、さすがにこの国においても増加のきざしをみせている。しかしそのことを学問の水準で理論的に追求し、人間のレベルにおいて実践する者の数は寥々たるものだ。あい変らず外部から導入する西欧知にべったりの学習・模倣のくり返しがはびこって久しい。今日、地球は地震などの自然災害が頻発し、くり返される経済予測はすべて失敗、民族・宗教がらみの国際的な紛争に右往左往している。原発問題に音をあげ、地球環境の改善は声のみ高く、解決にはほど遠い。このようなとき、このたびの松居氏の仕事は今なお低迷をつづける人文学に警鐘を鳴らして鮮やか光彩を放つ。そのことを心から喜び、氏の労苦をたたえたい。