角川財団学芸賞

  • 2022.01.12更新
    第19回 選考結果について
角川財団学芸賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第16回角川財団学芸賞受賞
『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋刊)
若松英輔
【受賞者略歴】
若松英輔(わかまつ えいすけ)
1968年生まれ。批評家・随筆家。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。2007年、「越知保夫とその時代」にて三田文学新人賞[評論部門]、16年、『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』にて西脇順三郎学術賞、18年、詩集『見えない涙』にて詩歌文学館賞[詩部門]を受賞。著書はほかに、『井筒俊彦』( 慶應義塾大学出版会)、『魂にふれる』( トランスビュー)、『生きる哲学』( 文春新書)、『霊性の哲学』( 角川選書)、 『イエス伝』(中央公論新社) など。

受賞のことば

若松英輔

 読まれた文字はつねに、読み手のちからによって新生したもので、しばしば書かれたときよりも豊饒な意味を有するものです。本作に与えられた栄誉も、選考委員の皆さんのそのような助力があったために違いありません。
 また、書物は書かれたときにではなく、編集者、校正者、装丁者の参与があって初めてかたちを帯びます。このたびの光栄をこの同志たちと共に喜びたいと思います。
 この作品にはもうひとり重要な協同者がいます。越知保夫です。彼は一冊も著書を遺すことなく一九六一年に亡くなりますが、その遺稿集『好色と花』の冒頭を飾る「小林秀雄論」は、数多ある小林論のなかできわめて独創的なだけでなく、小林以上に、小林の精神に肉薄した秀作です。
 十代の終わりごろ、師である井上洋治神父を通じてこの人物とその作品を知り、以来、私にとって書くとは、彼が病のためになし得なかったことを実現することと同義になりました。この著作に良きところがあれば、多くを越知保夫に負うことをここにお伝えしないわけには参りません。この機会に彼の言葉がよみがえることを切に願います。

選評

「見神・小林秀雄の目を辿る」 松岡正剛

 今回の選考は、明田川融『日米地位協定』、小川剛生『兼好法師』、中島岳志『親鸞と日本主義』、若松英輔『小林秀雄 美しい花』を対象に検討したのだが、僅かの差で若松氏の一冊が学芸賞にふさわしいと評価された。僅差になった理由には、対象書が既存の著作を上回ったか、新たな方向性を示したかという見方も反映されている。
 小林秀雄をどのように議論するかというのは難問である。これまで多くの試みがなされてきたが、図抜けたものはない。若松氏はそれらの議論を踏まえてはいるが、そこに囚われず、見神としての小林が向かおうとした軌跡のゆらぎを丹念に追った。評伝をめざしているけれど、多分に美学的で存在学的な小林像を綴った。
 小林は昭和日本にはまだ出現しきれていなかった「批評」を確立した。たんなる文芸批評ではなく、自身の「目」に適うところをまさぐることをもって批評とした。そのためにドストエフスキー、ランボー、無常、堀辰雄、能、ヴァレリー、本居宣長などが選ばれ、富永、中原、志賀、中野、大岡らとの親しくもきわどい交流が継続された。それらを通して小林の「目」は何に向かっていたのか、どんな基準や価値観が動いてきたのか、そこを検証するべく若松氏の記述が進んだ。
 小林には「美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない」という一文がある。この一文に象徴されるように、小林の目は「美しい花」を索漠の裡にほったらかしにしないためには、何を見極めればいいかということに注がれていた。若松氏はその「美しい花」への左見右見(とみこうみ)に照準を絞って本書を綴ったのである。
 この綴り方がすこぶる独特だった。すでに若松氏は井筒俊彦や内村鑑三や石牟礼道子らを、かれらの裡なる霊性を見逃さないように描いてきたが、その綴り方が〝難問の小林〟にも向けられたのだ。ただし今度は霊性ではなくて「美」の見極めだ。そこを操縦する小林の「目」だ。こういう小林論はなかった。小林の息遣いが伝わってくるようだった。


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