角川財団学芸賞

  • 2022.01.12更新
    第19回 選考結果について
角川財団学芸賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第17回角川財団学芸賞受賞
『水の匂いがするようだ─井伏鱒二のほうへ』(集英社刊)
野崎 歓
【受賞者略歴】
野崎 歓(のざき かん)
1959年、新潟県生まれ。フランス文学者、翻訳家。放送大学教養学部教授、東京大学名誉教授。2001年に『ジャン・ルノワール 越境する映画』でサントリー学芸賞、05年に『赤ちゃん教育』で講談社エッセイ賞、10年に『異邦の香り――ネルヴァル「東方紀行」論』で読売文学賞を受賞。トゥーサン、バルザック、スタンダール、サン=テグジュペリ、ヴィアンなどフランス小説の翻訳多数。

受賞のことば

野崎 歓

 フランス文学に憧れ、研究のまねごとを始めてから数十年もの時が経ってしまった。外国文学に深入りしながらつねに気になっていたのは「日本はどうなのか」ということである。強烈な魅力を及ぼすフランス文学に対して、日本文学はどんな個性を主張できるのか。そう問ううちに、この人がいたではないかと思い出した。井伏鱒二である。
「バルザックとか、スタンダールにはわれわれはかなわない」。若き井伏はそんな気弱な言葉を書きつけている。だが彼は長い時間をかけて自らの文章を磨き続けた。九五歳の長寿をまっとうし、バルザックやスタンダールとは異なる見事な世界を建立したのだ。釣りと温泉を愛し、酒を愛した井伏の本をひもとくとき、日本語を読む喜びにのびのびと浸る心地がする。
 井伏作品を読んでいるときのように愉しく読める評論を、という身の程知らずの願いを抱いて綴った拙著の意義を認めてくださった選考委員の皆様に、心から感謝申し上げる。
 受賞を励みに、これからもあちらこちらのあいだを行き来しながら、自分なりの文学探求を続けていきたい。

選評

「文芸批評がまだ力強く生きていることの証」大澤真幸

 本年度の学芸賞の受賞作、野崎歓氏の『水の匂いがするようだ――井伏鱒二のほうへ』は、文学への愛の結晶のような作品だ。フランス文学の専門家が、片手間に日本文学についても論じてみた、といった類の代物ではない。内容のすばらしさはもちろんだが、まずは、いかなる気負いも、いささかの衒いもない文章が上品で美しく、読書の本来の喜びを純粋に味あわせてくれる。
 文芸批評としての内容に関しては、作家としての自らをあえて「二番手」の位置におく井伏鱒二がしばしば用いる「翻訳」というスタイルに――一般に言われてきたこととは逆に――積極的な創造性が宿っている点を説得的に示したこと、あるいは、日本軍の侵攻を題材とした作品で用いられている「切り返しショット」のような描写が、日本人の加害性(爆弾を浴びせる日本軍)と被害性(空爆にさらされた日本の市民)とを重ね合わせながら自他を相対比させる効果をもっていると洞察したこと等、本書で提示されるいくつもの解釈が、選考委員の間で高く評価された。最終章では、本書の魅力的なタイトルにもなっている「水の匂がするようだ」という台詞を含む一節(『重松日記』)が「原爆による未曾有の破壊をもたらした文明の総体に井伏の主人公が突きつけた『否』の姿勢」を含んでいるという解釈が示される。本書は、最初から「水」や「魚」のイメージに拘りながら読解が進められていくのだが、最後に「水の匂」に重い政治的意味も含まれていることに気づかされ、強い感動を覚える。本書は、近年力を失いつつあるように見える日本の文芸批評になお可能性があることを確信させてくれる作品である。
 なお、最終選考に残った他の作品の中では、岡﨑乾二郎氏の『抽象の力』、熊野純彦氏の『本居宣長』への評価も高かった。とりわけ後者は、明治維新以降の宣長論を――今日で忘れられている著作まで含めて――徹底して検討し、「宣長」を鏡にして日本の近代思想史の動きを鮮やかに浮き彫りにした後、精緻を極めた読解を通じて宣長の全体像を描出しており、専門家を顔色なからしめる本格的な学術書だ。今後の宣長研究は、この作品を無視することができまい(ちなみに熊野氏の本来の専門は近代西洋哲学)。選に漏れたとはいえ、『水の匂い』との同時授賞が検討されたほど僅差であった。


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