角川財団学芸賞

  • 2022.01.12更新
    第19回 選考結果について
角川財団学芸賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第2回角川財団学芸賞受賞
『文明史のなかの明治憲法──この国のかたちと西洋体験』(講談社刊)
瀧井一博
【受賞者略歴】
瀧井一博(たきい かずひろ)
1967年、福岡市生まれ。1990年、京都大学法学部卒業。同大学人文科学研究所助手などを経て、兵庫県立大学経営学部助教授。博士(法学)。著書に『よみがえる帝国』(共著、ミネルヴァ書房、1998年)、『ドイツ国家学と明治国制』(ミネルヴァ書房、1999年)など。

受賞のことば

瀧井一博

 拙著『文明史のなかの明治憲法』はいまだトルソにしか過ぎない代物です。明治憲法と書名に掲げてはいるものの、ここで描きたかったのは紙の上の憲法ではなく、そこに託された人々の想い、そしてこの憲法とともに立ち上がり変成していった明治という「国のかたち」でした。その裏には、諸外国の憲法史研究とも対話可能な明治憲法史を、という想いがありました。しかし出来上がった書物が、果たしてそういった意図に叶っているのか、忸怩たるものがあります。にもかかわらず、このたび拙著が角川財団学芸賞を授かったのは、著者の初発の志を「その意気やよし」とかってくださった選考委員の諸先生方はじめ関係者の皆様からの叱咤激励のエールに他なりません。これまで独り嘯きながら研究しても恬然としていた身ですが、今後は大きな説明責任を背負うことになりました。襟を正して受賞の日を迎えたいと思います。

選評(敬称略/50音順)

「新たな明治憲法体験」黒田日出男

 瀧井一博氏は、明治国家が派遣した三度の西洋調査団、すなわち一八七一(明治四)年の岩倉使節団、一八八二(同一五)年の伊藤博文による滞欧憲法調査、一八八八(同二一)年の山県有朋による欧州視察における西洋体験の考察を通じて、明治憲法がいかにして構想され、創造されていったのかを論じている。いささか乱暴な要約をすると、岩倉使節団は、万国公法への楽観的信頼から出発して、憲法制定という課題を自覚するにいたった。その制定のために、大久保らは漸進主義を志向した。伊藤の滞欧は、憲法とは、その前提となる行政諸制度と一体のものであり、国家の枠組みを整備し、為政者と国民の意識を変えていくことこそが肝腎であるとの認識にいたる。そして山県が得たのは、どんな憲法もその運用を誤れば役に立たず、肝腎なのは「人」であって、日本の伝統的美徳を持ち、西洋文明と対峙しうる「人」によって、それは運用されるべきである、という確信であった。こうして三度の深刻な西洋体験は、明治憲法つまり近代日本の国制の構築をともかく成功させたのである。
 その論述は、先行研究をしっかりと踏まえた上で、バランスよく展開される。文章には節度と説得力があり、われわれの抱いてきた明治憲法や伊藤博文についての常識的な理解に確かな変更を迫るものであった。清々しい読後感を得ることもできた。
 このような本こそ、第二回の角川財団学芸賞にふさわしい作品であると直ちに判断できた次第である。まだ生まれたばかりの角川財団学芸賞が自らを特徴づけていく上で、大切な一冊となるであろう。

 


「和魂洋才の文明史」堀切 実

 明治の立憲制度の形成を、西欧異文化との接触点に重点を置いてとらえ直している。それが、岩倉・伊藤・山県の三つの欧米使節団の外遊体験におけるさまざまの言動やエピソードを通して語られるので、退屈しない。岩倉使節団のときの、洋装に不慣れな日本人団員のボタンひきちぎり事件、サンフランシスコでの伊藤博文の高らかな「日の丸演説」、あるいはチョンマゲ・和装姿だった岩倉の洋服姿への早替りなど、「和魂洋才」をめざす時代の反映である。憲法もまた国家という身体を装う一種の「衣服」のようなものとする見立てもおもしろい。明治二十二年、憲法発布のとき、皇居賢所では秘伝的な「古代服」で登場した天皇が、その後の式典では一転して華やかな洋式の「軍服」姿で列席されるというのも象徴的である。憲法は神殿に「奉納」されたあと、国民に「発布」されたのであった。
 明治憲法の成立には、国内的にも「五日市憲法」など自由民権運動側からの働きかけや、イギリス流議院内閣制をめざす大隈重信の意見書提出などがあったが、そうしたなかで皇室・官憲の存在を巧みに調和させつつ、新しい"国のかたち"を創り上げてゆく物語りは、結構躍動感がある。ドイツ議会政治の実情を視察して壁に当たったあと、ウィーンに独自の国家論者シュタインを訪問して、日本的立憲国家への自信を深め、やがて文明の徳としての国際法の精神から富国強兵を図る憲法へと転位する経緯にも歴史のドラマを感じる。
 ベルリンでの新渡戸稲造の逸話にはじまる導入も巧みであり、文章は平明で無駄がなく、引用文の解説も丁寧、章段の組み立てが明快で、一気に読ませる本である。

 


「世界史の次元で日本を考える力作」山内昌之   

 第二回角川財団学芸賞は、瀧井一博氏の『文明史のなかの明治憲法』(講談社刊)に決まった。私もいろいろな賞の選考に関係してきたが、選考委員たちの専門性を超えて、高い水準と説得力に圧倒される仕事は存外に少ない。瀧井氏の書物は、帝国憲法制定の背景をさぐるために、政府要人による三回の欧米視察を文明論的に論じた力作である。
 第一は、一八七一年一二月~一八七三年九月の岩倉使節団である。その結論は、個人の自立や「文明化」した国民の存在こそ、国家独立の前提条件として不可欠であり、「人情の自然」に発する愛国心やナショナリズム、国の独立心の制度化こそ発展の原動力だという点であった。第二は、一八八二年三月~八三年八月の伊藤博文のヨーロッパ憲法調査旅行である。伊藤は、英国流の議員内閣制に反対し、プロイセン流の立憲構想を導入したが、その君主像はむしろ英国流の「君臨すれども統治せず」に近かったという瀧井氏の指摘は興味深い。第三は、一八八八年一二月~八九年一〇月まで一〇か月に及んだ山県有朋の欧米憲法調査である。土地の名望家を中心とした住民の自発的な隣保活動、道路や橋の補修、治安維持や救貧などをドイツから学び、ヨーロッパの地方議会が穏健なことに、山県も印象を強くしたという考察は重要であろう。
 日本の政府指導者のヨーロッパ長期滞在は、同時期のイランのカージャール朝のシャーたちの欧州漫遊とは異なっている。瀧井氏の視角は、オスマン帝国やエジプトなど同時代の中東・アジアの近代化挫折の背景を考える上でも示唆に富む。現代の日本人が世界史の次元で事物を考える重要性を教えてくれる点で、角川財団学芸賞授賞にふさわしい力作である。

 


「近代日本の「西欧体験」」山折哲雄    

 明治国家は、どのような「国家」として成立したのか。西欧の弱肉強食国家群にたいして、どのような「国のかたち」をつくりだそうとしたのか。この近代日本の誕生を占う上で欠かすことのできない問題を、明治憲法の形成過程を通して明らかにしようとしたのが本書である。
 この息づまるドラマを国内側からうかがうとき、三つの流れもしくは党派が存在したという。第一が大久保利通、木戸孝允の路線。主に岩倉使節団の西欧体験にもとづくもので、天皇と政府による強力なリーダーシップを強調する開明的立憲主義といっていい。第二の路線が、憲法調査のため再度渡欧した伊藤博文の立場。かれは憲法に血を通わせるには現実的な行政が重要であると考え、議会との協調システムの構築に心をくだく。「君臨すれど統治せず」の穏健な国制論といっていい。第三が山県有朋の路線。かれも独自の構想をもって渡欧し、その経験にもとづいて、一方における議会政治の抑制、他方における地方行政の充実と軍事組織の整備に意を用いて国制の骨格を固めようとした。官僚層と軍部のネットワークを通して、立憲政治に強力な枠をはめようとしたのである。
 面白いのは、右の三者の渡欧体験に甚大な影響与えた思想的源泉としてベルリン大学の憲法学者グナイスト、ウィーン大学の国家学者ローレンツ・フォン・シュタインなどの言説を巧みに活用し、まさに明治憲法そのものが近代日本の「西欧体験」の中で形成されていったありさまを生き生きと描出している点である。文章が、明晰で、分かりやすく、広々としたパースペクティブの下に論述されているところが快い。


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