角川財団学芸賞

  • 2022.01.12更新
    第19回 選考結果について
角川財団学芸賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第3回角川財団学芸賞受賞
『戦場の精神史──武士道という幻影』(日本放送出版協会刊)
佐伯真一
【受賞者略歴】
佐伯真一(さえき しんいち)
1953年、千葉県生まれ。同志社大学文学部卒業、東京大学大学院博士課程単位取得退学。帝塚山学院大学専任講師・助教授、国文学研究資料館助教授を経て、青山学院大学文学部教授。博士(文学)。著書に『平家物語遡源』(若草書房、1996年)、共著に『四部合戦状本平家物語全釈(巻六・巻七)』(和泉書院、2000~03年)など。

受賞のことば

佐伯真一

 私は『平家物語』に注釈をつける仕事を基本にして、研究を続けてきました。『戦場の精神史』は、その注釈の一部分が肥大して独立したものであるともいえます。それも、計画的にふくらませたわけではなく、気がついたら育っていたというのが正直なところです。そんな本が、このようなすばらしい賞をいただけるというのは、幸運の一言に尽きます。ただ、「一見瑣末な研究も、人間の営みを根本から考えることにつながっているはずだ」とは、日頃から思っていました。今回の受賞によって、それが単なるひとりよがりではないのだと確信できたのは、何よりも嬉しいことです。狭い専門領域の中で論文を書く時も、視線だけはできる限り遠くへ向けておくように、また、「一般向け」とされる領域の本も、自分の関心をできる限り発展させつつ、きちんと調べて書くように――そういう小さな志を絶やさぬようにしてゆきたいと思っています。

選評(敬称略/50音順)

「リアルな「精神史」の誘惑」黒田日出男

 中世文学研究者、もっと限定して言えば『平家物語』の研究者である佐伯真一氏は、専門の枠から足を大きく踏み出して本書を書かれた。その文章は読みやすく、明快な論述である。
 軍記研究の大家、故梶原正昭氏は、従来の軍記研究には戦争そのものをどうとらえるかという「哲学」が欠けていたという痛切な反省を残されたが、その「遺言」を真摯に受けとめた佐伯氏は、戦争の始原にまで遡った上で、中世の戦場における武士たちの戦いを軍記物語のなかに丹念にたどり、彼らが「だまし討ち」を当然のこととして行っていたことを、文句のない説得力をもって明らかにしていく。戦場での武士のリアルな倫理とは「だまし討ち」を肯定するものであったのだ。本書の白眉である。
 では、そうした「だまし討ち」を肯定する精神は、近世や近代ではどうなっていくのか。本書の探究は、近世や近現代へと踏み込み、儒教的な「士道」論をはじめとするさまざまな武士論を整理し、関連づけていった結果として、いわゆる「武士道」の誕生へと行き着く。すなわち、「武士道」とは、武士の居なくなった近代が生み出したものなのであると。専門外の資料を駆使してのことなので、すっきりした論旨の展開とは言いがたいところもないわけではないが、力業というべき論述となっている。
 そして最後に、戦争における倫理や心性と平和時の倫理や心性とがそのように関わり合うのかという難問を示し、戦争を人類史的視野において見詰めるべき地点にまで読者を誘っている。
「武士道」を見直す新たなパースペクティブを、分かりやすい文章で明晰に論じた本書は、角川財団学芸賞のふさわしい力作である。今後、さまざまな批判が現れるに違いないが、それは佐伯氏の望むところであろう。

 


「喧嘩・だまし討ち・謀略の精神史」堀切 実

 中世戦国の武士道は主従のあいだの忠節と報恩、滅私と情誼で成り立っていたが、所詮侍は渡り者、寝返りも自由であった。近世初期では、それがかぶき者や奴(やっこ)の気風に受けつがれ、他方、平和時に応じた儒教的な士道が芽生え、徳川文治政策の定着する元禄期には、しだいに士道精神が優位を占めてくる――そうした新しい武士道の誕生の上に、新渡戸稲造の説く近代の日本的武士道の高揚がはじまるものと、評者などは考えていた。西鶴の武家物の読者たちが、死の覚悟をもちつつ、恥や面目にもこだわる武士の生き方に共感したのも、その点にあると思い込んでいた。
 ところが、佐伯真一氏の見解では、戦場の武士道こそが正統であり、士道などは武士道そのものではないとされる。『葉隠(はがくれ)』は異端の書、新渡戸の武士道などは虚妄の産物としている。
 著者は豊富な合戦譚を駆使して戦場を活写し、勝つためにはフェアプレイにこだわらず、夜討ちや奇襲は正当、だまし討ちや謀略も日常茶飯といった戦いの実態を剔出する。大音声で名乗る一騎打ちも多くは幻想に過ぎず、一人の武者を集団で〝取りこめ″て討つ戦法が優位を保つ。合戦を支配するのは功名心なのであった。そして、こうした戦いの原像は、神話・伝説の時代から、現代の科学兵器時代まで変わらない――それは戦う武士というものの本質であるというよりも、人間性の本質に根ざすものなのであろう。
 美化され過ぎた武士道の実態を洗い出すというモチーフは、必ずしも目新しくはない。だが、専門分野のほか、広範囲な文献に当って諸説を的確に整理し、批判意識を持って読者に紹介しているので、説得力のある叙述になっている。日本文学研究者でありながら、歴史研究者とも力強く渡り合い、従来の軍記研究にありがちだった〝哲学″の欠如を克服しようとする姿勢に賛同したい。

 


「バランスのとれた旺盛な知的関心」山内昌之   

 武士道については、ともすれば美化されがちである。新渡戸稲造このかた、日本の歴史のポジティブな要素として武士道を考える傾向が強い。しかし、近年では武士を「ヤクザ」や「暴力団」になぞらえる人もいるほどだ。武士は犯罪なしには生きられず、武力編成の実態も犯罪者や「ヤクザ集団」に近いと極論する人もいる。八幡太郎義家は「広域暴力団の組長」だというのだ。佐伯氏は、こうした見方にも一理あるとしながらも、もうすこしバランスのとれた見解を示している。
 氏は、欧州の騎士と同じく、武士も侮辱に対して過敏に反応し、名誉を守るための道徳観を身につけていた面を強調する。かれらの道徳観は、戦場から生まれたものである限り、多くの面で一般的な道徳観となじまない面をもっていた。武士道は、平和な社会を前提とした儒学の倫理や道徳とは違うのである。このあたりの実相を多面的に考えた氏の論説はまことに興味深い。戦場の精神史では、フェアプレイとともに「だまし討ち」も横行した。『平家物語』や『吾妻鏡』ではだまし討ちも格別に悪く描かれていない。謀略は戦国時代の武将の得意技であった。戦争一般を理解するための手がかりとしてこの本を書きあげた問題意識に加えて、日本の神話世界からアラブのアミン・マアルーフ著『アラブが見た十字軍』にまで広がる知的関心の旺盛さも見事なものである。中世日本文学者の挑戦的な仕事に敬意を払いながら、第三回角川財団学芸賞の受賞をお祝いしたい。

 


「「さむらい」論の新展開」山折哲雄   

 今回は、いくつか有力な候補作があり、白熱の論議の結果、佐伯真一氏の『戦場の精神史』にきまった。賛否が分かれる状況だったのは、近ごろ刊行される多くの「武士道」論にたいして、どのように独自の論点が提出されているか意見が伯仲したからである。が、ともあれ本書が、戦場における「だまし討ち」というテーマをひっさげて、合戦のルールや倫理、名誉や権謀の問題と結びつけて論及し、のちの近世「武士道」が成立する歴史的背景まで明らかにしているところはすぐれた点であると思う。その結果、野武士、山伏、ごろつき武士の時代から近世にかけての「さむらい」たちの生態を、豊富な事例にもとづいてわかりやすく叙述し浮き彫りにすることに成功している。また、日本史に登場する戦闘(戦争)の意味を、縄文時代から現代までの射程の中で考察しようとしている点も類書にはみられない特色といえるだろう。
 戦後になって、戦前の軍国主義の記憶が尾を引き、日本「民族」の攻撃性というイメージが内外にすくなからざる影響を与えつづけてきたことは周知の事実だ。そして、その攻撃的性格の源流に「武士道」の価値観や伝統を想定する議論もまたあとを絶たない。今日、各種の武士道論が花盛りであるのもそのような風潮にたいする反動なのであろう。しかし日本の歴史を長い目でみればただちにわかることだが、平安時代や江戸時代のように長期にわたって「平和」のつづいていた時期もある。攻撃的であるどころか、逆に平和愛好の側面が諸外国の場合にくらべてきわ立っているのである。本書がそのような方面にも視野を広げて論じていれば、さらによかったと思う。


受賞者一覧に戻る