角川財団学芸賞

  • 2022.01.12更新
    第19回 選考結果について
角川財団学芸賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第7回角川財団学芸賞受賞
『魂の古代学──問いつづける折口信夫』(新潮社刊)
上野 誠
【受賞者略歴】
上野 誠(うえの まこと)
1960年、福岡県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。奈良大学文学部教授、奈良県立万葉文化館万葉古代学研究所副所長。92年、第12回日本民俗学会研究奨励賞。98年、第15回上代文学会賞。著書に、『古代日本の文芸空間――万葉挽歌と葬送儀礼』(雄山閣出版)、『芸能伝承の民俗誌的研究――カタとココロを伝えるくふう』(世界思想社)、『大和三山の古代』(講談社)など。

受賞のことば

上野 誠

 時代の要請と、その要請に応えんとする学者の個性というものが、激しくぶつかり合って、新しい学問が生まれる瞬間というものがある。折口信夫という男は、なぜ二十九歳にして『万葉集』の初の全口語訳を成し遂げようとしたのか。なぜ、彼は民俗学の樹立を急いだのか。なぜ、彼は朝鮮人大量殺害に激しく抗議したのか。なぜ、小さき者、弱き者の視点で、芸能史学を構想したのか。折口の著作を読み進めながら、そんなことを考えた。すると、痛々しいまでに、時代と格闘し、悪戦苦闘する折口に出逢えたような気がしたのである。その感動の瞬間を忘れないようにして、夢中で筆を走らせた日々のことが、今受賞にあたり懐かしく思い出される。本書の文体は、そういう口吻を伝えるものである。泉下の折口は、たぶんこんな祝辞をくれるだろう。「いろいろうちのこと書いているようやけど、あんたが一人前の古典学者になれるかどうか、それがの問題やで?」(大阪弁で)と。

選評(敬称略/50音順)

「出自に注目した折口論」鹿島 茂

 折口信夫ほど、魅力的でありながら、研究対象として取り扱いにくい存在はありません。なぜなら、決定的なところまで追い詰めたと思ったとたん、その実像はフッとかき消えてしまうからです。
 この点について、なぜなのだろうと長いあいだ思っていました。
 折口がものごとを根源的なところで妥協せずに徹底的に自分の頭で考えようとした人であることに最大の原因があることはわかっていたのですが、にもかかわらず、折口の思考と感性の筋道の出所がいまひとつ理解できないでいたのです。
 上野氏の見解の中で、なるほどと思ったのは、折口が代々養子を必要とする大阪の女系家族にやっと生まれた男の子で、感性や思考法の最も深いところにその女系的環境(とりわけ芝居好きの環境)の影響が強く残っていたのではないかという仮説です。
 これは思わず膝を打つものがありました。「マレビト」にしろ「たおやめぶり」にしろ「みこともち」にしろ、言葉としていきなり日本人の心を捉えて映像的には即座の理解を成立させるにもかかわらず、これを抽象的・観念的に説明しようとするととたんに困難に直面する折口用語の数々は、芝居好きの大阪の「いとはん」言葉の感性から生まれたものだったのです。であるがゆえに、折口自身でさえ合理的な説明は難しくなってしまうのです。
 人間というのは、どんなに偉大な 学者であろうと文学者であろうと、出自の環境から免れえないものなのです。
 折口信夫についても、この事実が確認できたということは、一つの発見と呼んでいいのではないでしょうか。

 


「折口の実像に迫る気迫」姜 尚中

 今回も力作揃いであったが、専門家と非専門家の領域を超えて読ませる作品は、上野誠氏の受賞作『魂の古代学』だけだった。しかも上野氏の作品には、その存在そのものが巨大な知的迷宮とも言うべき折口信夫の実像に迫ろうとする並々ならぬ気迫のようなものが波打っている。
 柳田國男と比較されながらも、孤高の詩人学者と呼ばれた折口信夫には、不可解なゾーンがいつもつきまとっている。上野氏はまさしくその折口の世界に果敢に光を当て、折口の眼差しが、小さき者、弱き者、周辺に追いやられた者にずっと注がれていた経緯を鮮やかに浮かび上がらせている。その語り口と描写には、この不世出の学者に対する無限の傾倒と哀惜の念が横溢していて、読む者を感動させずにはいない。
 三〇歳にもならないのに、無謀にも『万葉集』の初の口語訳に取り組んだ折口。民俗学の確立に全身を注ぎながらも、「部落差別」や朝鮮人大量虐殺に敢然と抗議した折口。消えゆく弱き者たちへの視点から芸能史学の樹立を急いだ折口。そこに見られるのは、時代と真摯に格闘し、身悶えしながら疾走する希有な魂だった。
『魂の古代学』は、このような折口にしっかりと焦点を当て、折口の生々しい姿を生き生きと甦らせている。本書は今後、折口を語るとき、常にふり返られる準拠点になるに違いない。

 


「〈総体〉としての折口像」福原義春    

 今日では半ば伝説の中に入ってしまった折口信夫が遺したものが何かを理解することは難しい。いや、半世紀前の同時代人にしても折口の語らんとしていることが何であるのかを刻々と感じとっていた人は少なかったのではないか。
 それほど折口の直観は鋭く、思想は深く、追究した領域は拡がっていた。
 だから後塵を拝した人たちが重要なキーワードを分析し、敷衍しようと試みるごとに、全体像が見えにくくなり、〈総体〉としての整合性が取りにくくなったのだ。
 折口の遺した仕事の基盤には万葉集の読解と口訳があり、そのことを通じて歴史や書物以前の日本人の精神の誕生と伝承を辿ろうとしたのであった。
 そのような折口の全体像の輪郭をこれほどまでに濃く描いたことが授賞の理由であった。しかもその方法としてかつて折口の用いた逆さ文学史に倣い、時代を遡ることによってその思想の淵源を考えつつ探り、〈総体〉としての理解を助けた。
 直観的な問題提起と論理的な思考とは常に相容れない。しかし大きな問題提起がなければ進歩はない。この裏腹のようなしかも矛盾した関係の微妙さを伝えるのも本書である。
 今回の選考は短時間のうちに収斂して一致した。またその過程で、角川財団学芸賞の性格についての議論が再度行われたことも特記すべきことであった。要約すればこの賞を与えられるべき作品は、単なる学術論文集ではなく、しかしまた反対に単なる解説書でもない。
 受賞作は折口の全思想を浮き彫りにして見せ、正にこの賞に相応しいものであった。

 


「本質をつく着眼」山折哲雄    

 日本の古典をこのごろの若者コトバで訳したり、京言葉や大阪弁で語り下ろしたりする試みは、最近でこそ当り前のことになってきたが、そんなことは今から九十年も前に折口信夫がすでにやっていたことだ、という話から本書ははじまる。折口の大阪弁まじりの『口訳万葉集』がそれで、まさに本邦初の「漢字仮名まじり書き下し文」による翻訳だったと指摘している。この着眼は本質をついている。
 戦後、人文学界に大きな波紋をおこした、日本のカミをめぐる柳田國男と折口の論争をとりあげ、その勘どころを説き明かしていく手ぎわも鮮やかだ。日本のカミの原型を柳田は「祖霊」といい、折口は「マレビト」と主張してたがいに譲らなかった。けれどもよく考えてみれば、祖霊もマレビトもともに「魂」の変化したものであるにちがいない。とすれば両者ともにカミ・ヒト・タマの三者の関係について考えていたのであって、それはどこかキリスト教神学における三位一体(神・イエス・聖霊)の議論を思いおこさせるだろう。
 折口学の魅力の一つに芸能の発生にかんする議論がある。著者はその中から、賤視する者と賤視される者のあいだに交錯する差別のまなざしをとりあげ、その人間の業のごときものが折口自身の内部にも潜み、かれの思考と感覚の核にもなっていたことを冷静にえぐりだしている。
 折口は、大阪の商人町に育った自意識過剰の屈折した子供だった。その少年時代に光をあてようとするとき、著者は自分もまた博多の商家の出であると告白しつつ、自身の体験をそれに重ねて論をすすめているのである。


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