角川財団学芸賞

  • 2022.01.12更新
    第19回 選考結果について
角川財団学芸賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第8回角川財団学芸賞受賞
『1968』[上・下](新曜社刊)
小熊英二
【受賞者略歴】
小熊英二(おぐま えいじ)
1962年、東京都生まれ。東京大学農学部卒業後、出版社勤務を経て東京大学総合文化研究科博士課程修了。現在、慶應義塾大学総合政策学部教授。著書に、『単一民族神話の起源』、『〈日本人〉の境界』、『〈民主〉と〈愛国〉』など。96年にサントリー学芸賞、2003年に毎日出版文化賞および日本社会学会奨励賞、04年に大佛次郎論壇賞受賞。

受賞のことば

小熊英二

 日本社会未曾有の変動である高度経済成長のなかで、人間の心理はどのような負荷をうけ、どのように反応したのか。そしてそれは、その後の日本社会に何を遺したのか。全共闘運動を中心とした若者たちの叛乱を、政治経済的背景から参加者のメンタリティ、運動の具体的展開まで総合的に描くことで、この主題を追求し、現代から学ぶべき教訓を引き出そうと試みた。その作業を通じて、四〇年前の社会変動をようやく「歴史」にすることができたと思う。そうした検証と歴史化は、経済成長の時代が終わり、次のステージに入った現代日本社会が足場を見直すうえで、必要な作業であると考えた。作業が困難であったがゆえに受賞は嬉しいが、それ以上にこの挑戦的な仕事が認知されたことを喜びたい。これを機に、日本ではまだまだ未開拓の領域である戦後史の研究が進み、現代に示唆をあたえる発見がなされていくことを期待する。

選評

「根源的総括」 鹿島 茂 

 一九六八年前後に高揚を見た学生運動の根源的な総括が、運動を実際には経験していない世代の小熊英二さんによって行われたことは一つの必然であると同時に快挙であると思います。
 必然というのは、当事者であったわたしたちの世代ではこれほどまでに巨視的かつ客観的な判断は下せなかったからです。やはり、時代から距離を置いた研究者でなければ、こうした「現代史」は書き得なかったにちがいありません。
 一方、快挙というのは、小熊英二さんという人並み外れた膂力(りょりょく)に恵まれた書き手がいたからこそ、歴史的にも異常に突出したこの時代をほぼ完璧に描き切ることが可能になったという意味です。小熊英二さん以外には、だれ一人としてこれほどまでの達成は成しえなかったと思います。女性週刊誌や『平凡パンチ』まで広く目配りして生の声を拾ってこようとした努力は、いくら称賛しても称賛しきることはありません。
 しかし、これらの長所・美点をすべて認めた上で、歴史の当事者の一人としては、クロード・シモンが『草』という小説の冒頭にエピグラムとして掲げたボリス・パステルナークの言葉「だれも歴史をつくりはしないし、見ることもない。草が生長するのを見ることがないように」を繰り返すほかはありません。生長する草の間にいた人間にとって、「これが草だ」と言われても、「なるほど、草かもしれない。だが、わたしが草いきれを嗅いでいた草は少しそれとは違うのだ」と小声でつぶやくことになるのです。

 


 

「角川学芸賞 寸評」 姜 尚中 

 選考委員会には、五点の作品が候補作品としてあがってきましたが、質量とも、小熊英二氏の『1968』が優れていることは、選考委員全員の一致するところです。
 池内敏氏の『薩摩藩士朝鮮漂流日記』は、歴史的資料としては面白い題材であり、解釈の仕方や資料の複眼的な読み込みによって全く新しい日朝交渉の歴史が明らかになるはずですが、やや平板な考証に終わったうらみがあります。
 岡野友彦氏の『北畠親房』も、波乱に富む、謎の大きい北畠親房の生涯とその思想を、斬新な切り口から甦らせているとは言いがたく、もうひと工夫欲しかったと思います。
 加藤陽子氏の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は、すでに小林秀雄賞を受賞している優れた講義録です。若い学生たちとの真摯な交流を交えながら、日本の戦争の歴史を必読文献とともに読み解いていく作業は知的刺激に満ちています。ただ残念ながら、講義録というスタイルをとっていることもあり、学芸賞にふさわしいとは言いがたいと判断せざるをえませんでした。
 神田千里氏の『宗教で読む戦国時代』は、戦国時代のイメージを書きかえるほどの挑発的な研究になるには、もう少し工夫が必要であり、今後の努力を期待したいと思います。
 最終的に小熊氏の浩瀚な研究が残ることになりました。その知的腕力によって同時代史の光と影が彪大なアーカイブを通じて再現されるさまは、パノラマを観るような趣があり、学芸賞にふさわしい力作です。

 


 

「壮大な同時代史」 福原義春

 私たちは忘れてしまったようにしているが、実は忘れられない、忘れてはいけない歴史のあったことを上・下二千頁を超える大著が改めて教えてくれた。
 同時代史というものの重要性は誰もが認識しているものの、得てして実存する人物を証人として語らせる時、往々にして客観性を失う危険についても経験している。今日論じられている明治維新の出来事についての歪んだ解釈がその例証である。
 六〇年代安保闘争から七〇年代に及んで、全共闘を一つの軸にして展開し屈曲して行く歴史の流れとさまざまな襞を記述するのに使われた方法は、残された無数の一次資料や回想記などを悉皆的に収集して読み解くことであった。そこでこの大部の研究は、ある意味での客観性と将来に残る二次資料としての価値を併せ持つ文献ともなった。
 恐ろしいほど読みごたえのある本だが、これが読めてしまうということは、第一にその方法の成功であり、第二に読者をも共に考えさせてしまう提示の仕方にある。同時代を過ごした人々も、この時代が終った後に生まれ育った人々も、今日の日本社会はここに取り上げられたような過去を背負った歴史的現実であることを改めて考えざるを得ない。
 過ぎ去った歴史の事実ではないので本書の範疇ではないが、この時代に生きた大、小のリーダーたちが、その後の大衆消費社会における各分野のリーダーにもなって行ったのには、どんなメカニズムが働いていたのであろうか。またこの時代に噴出した巨大なエネルギーは、九〇年前後のバブル景気でどう変質したのだろうか。

 


 

「天晴れな力業」 山折哲雄

 六○年代、日本列島を襲った「学生叛乱」についての、同時代的な診断書である。運動にまきこまれたさまざまな人間たちの証言をつらねたドキュメンタリーとしても異色のものだ。著者はその後の世代に属するが、たんなる後追いの外形的総括の域をこえ、自身の内的エネルギーを総動員して対象に挑みかかっている。
 まず、この叛乱の時代を一挙にワシづかみにしようとするときの発想と展望が鮮やかで、説得力に富む。六〇年安保で象徴される時代、若者たちを覆っていたのは戦後の飢餓と貧困、そして戦争への恐怖といった重圧からくる「近代的不幸」だった。これにたいして六八年から翌年にかけて発生する「叛乱」の本質は、高度経済成長と消費社会がつくりだした学力競争、閉塞感、無感動、存在感の喪失、などからくる「現代的不幸」にあったという。
 その「近代的不幸」の時代、日本は発展途上国の段階をさ迷っていたが、またたくまに高度経済成長の波にのって先進国の仲間入りをする。その急激な社会の変質が、叛乱の正義をいや応なく狂気と分裂へとみちびいていった。この変転きわまりない過程を、セクトの活動家、ノンセクトの学生、そして参加し傍観する知識人たちの感想、批評、放言、中傷など、多彩な情報を収集し、選別し、物語化して、一つひとつの事件を浮き彫りにしている。
 柔軟な筆力だ。複眼的な思考も光っている。天晴れ、というほかないのだが、さてそれでは、この『1968』の大作が、たとえば今日大流行の村上春樹の『1Q84』の世界へと、いったいどのようにスイッチされるのか、されないのか、あらためて聞いてみたいところである。


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