中井信彦
色川三中(みなか)は、幕末の土浦の好学な商人です。幸に多く残された史料によって、無名な地方都市の一市民のライフヒストリーを辿ることを通じて、社会や経済、また学問の思想や時代状況を描いてみたいと思いました。このたびの思いがけない光栄を励みとして、「学問と思想篇」の完成を急ぎ、色川家を初めとする史料所蔵者各位の年来のご好意に報いたいと存じております。有難うございました。
『色川三中の研究 伝記篇』児玉幸多
色川三中(いろかわみなか)は常陸の国土浦の商人で、「香取文書纂」の編者として、また「新編常陸国志」の出版協力者としても知られていたが、三中の商人としての生涯については二、三人の研究があるに過ぎなかった。色川家は土浦において薬種商と醤油醸造業を営む豪商であったが、三中が生まれる頃から家運が傾き始め、家督をついだ時には多額の借財が残されていた。三中はその家政を再建する一方で、本草学や薬品学に心を寄せ、あるいは田制史や度量史の研究を進め、橘守部の門人に入って国学を修めるなど学者・文芸人としてもすぐれた業績を挙げた。本書はそれらの経緯を克明に述べているが、単なる一個人の生涯を述べるに止まらず、十九世紀前半の政治社会のきびしい情勢の中で、関東の一都市の商人がどのような生きざまをしたかを詳述している。そこには著者の近世経済史・社会史等における幅広い研究に裏づけされたものがある。江戸や京坂などの大都市の経済的なつながりや文化の伸展の関係は必ずしも解明されているとは言えないが、本書はそこに新しい道筋を示している。なお本書には第二巻として学問と思想篇が予定されているが、この伝記篇のみとしても授賞の対象となり得ると判断されたものである。