信多純一
今回の小著は、私の初の論文集で、近松関係の今までの仕事を大半収めたものです。
書たるもの、新見に富むとか何か裨益するところがなければならぬと頃日考え、口にもしてきましたので、それに従えば上梓するに足るものかどうか、はなはだ忸怩たるものがあり、容易に踏み切れないでいました。加えて文体が異なるものがあり、一書としてのまとまりが形の上でもつかない面もありました。
しかし、数年来の編集者の熱意と、周囲のすすめにより、多少心が動いたことと、最近発表の数編あたりで、やっと近松が少し見えてきた(これまで近松探索に荏苒日を重ねてきました)感があり、切り込む手がかりが出来てきたのではないかと思うこととも重なり、敢て上梓した次第です。
その書を受賞作としてお認め頂きいささか安堵すると共に、光栄かつうれしく存じます。そして縁につながる方々に感謝あるのみです。
『近松の世界』尾形 仂
本書は、著者が三十余年にわたって推進してきた近松研究の成果を集大成したもので、I世話物類、Ⅱ舞台・人形・観客その他当時の劇壇事情、Ⅲ時代物の三部より成り、巻末に近松研究の歩みと課題・展望について語った広末保氏との対談を添える。
従来、近松といえば〝作者の氏神〟としてその名文が賛美され、多くレーゼドラマとしての角度からその悲劇性が取り上げられてきたのに対し、著者は義太夫以外の大夫をも含めた浄瑠璃正本の厳密な書誌的検討をはじめ、能・幸若・説経・歌舞伎の諸芸能から評判記・浮世草子・雑俳・日記等々にわたる周辺文献資料や諸種の画証類、および地方各地に伝在する民間芸能の博捜の上に立って、近松当時の浄瑠璃の実態を究明し、舞台・演出・曲節・趣向を勘案しながら、『出世景清』『曾根崎心中』『心中重井筒』『傾城反魂香』『心中天の網島』等の具体的作品に即して、近松浄瑠璃の本質を明らかにしてきた。
本書が、時代物の考察から世話物へと進められてきた著者の研究の足跡とは逆順の構成をとり、曲節・演出・芸風を熟知して作文された近松の詞章のイメージの分析を通して、その隠されたテーマを探り出そうと試みた最新の二編を巻頭に据えていることは、ⅡⅢ部に配された芸能としての研究の成果を総合して著者の推し進めようとしている文学的アプローチへの方向を示唆している。
芸能史的考察から作品の文学的核心に迫り、次々と近松研究の新しい地平を拓いてきた著者の業績は、平明・暢達の行文を駆使して、鋭い問題提起と推論と実証とを繰り返しつつ、読者を近松の世界へと引き込んでゆく文学的趣致に富んだ表現と相俟って、文学の研究としての高い評価に値するものといって憚らない。