服部英雄
農村、山村を歩き、人々の暮らしをみ、古老からの聞き取りを進める。歩きながら村の生い立ちのイメージの骨格を作ってみる。一方で文献史料ともつきあわせて、それを確認し、肉付けする。そして中世のムラの歴史像を作る。私がやってきたのはそんな仕事でした。作業に役立ったのは地名です。角川の日本地名大辞典に掲載の小字一覧はおおいに活用しました。一方で文字化されたことのない、口頭のみで伝承されてきた通称地名の収集にも力を注ぎました。私が勉強を始めた頃は、歴史資料として地名のような不確実なものを扱うことは、まともな研究者のすることではないぞ、という雰囲気がありました。今でも多少はあるかもしれません。村は急激に変わり、小地名も消えつつあります。このたびの受賞で地名や荘園の現地に対する皆さんの関心が深まれば、喜びは、二重、三重に広がります。
『景観にさぐる中世』大山喬平
長いあいだ伝えられてきた日本の耕地にはさまざまな固有名詞がつけられていた。服部氏は耕地の名称を各地で調査するうちに「みそさく」あるいは「ようじゃく」など意味不詳の地名がじつは地頭など中世在地領主の直営田である「御正作」「用作」にほかならないことに気づく。服部氏は東国各地、上野・下野・下総・常陸・甲斐の「みそさく」、西国防長二国の「ようじゃく」など多数の地名を蒐集し、それらの一つ、一つについて立地や水路、土壌の観察を行い、それらが用水路にたよる乾田と日照りに強い強湿田との組み合わせからなっていたことを導きだした。それは中世農業の水準を考察する大きな手がかりとなった。正作田にとどまらない。満潮時に逆流をはじめる淡水(あお)を利用して耕作される筑後川低平デルタ地帯の荘園。播磨福井荘の古文書にみる樋守を現地に尋ねて、それが中世以来近年にいたるまで瀬戸内の潮浜干拓水田を囲む堤防の樋門を日に二度づつ開け閉めし、排水を行ってきた水番の樋守であったことをつきとめるなど、氏の研究は古文書の簡単な単語の意味を探って新鮮である。
本書は地名研究の豊かな可能性を多くの実例によって示した大著であり、日本中世史研究に新しい領域をもたらした。服部氏が各地の荘園故地で蒐集し、巻末の地図に表現した通称地名は将来の研究のための貴重な財産をなしている。この研究は文化庁に勤務した著者の個人的努力によってなしとげられた。しかし昔の耕地と地名が急速に失われている現在、こうした研究に残された時間はおおくない。個人の作業量だけではとても追いつかないというこの学問の置かれたきびしい状況もまた本書の語ってやまないところである。