室伏信助
小著は、平安時代に成立し開花した物語文学の特質を明らかにし、言語芸術としての意義を文学史的に問いつめようと試みたものです。源氏物語を基点に前期物語の位相を溯及して解明する方法を模索し、また物語を受容し享受する内実が物語の成立や形成に転化する表現史上の謎を解こうとしました。若い頃、画家を志して失敗した経験から、手作りの芸術に憧れる想いは、その後、古典文学を対象に研究するようになっても、筆を執って書く言語によって創り出される作品世界の魅力を、歴史的に究明する方向へ向わざるを得なかったのです。そのような試みが認められたとすれば大変うれしいことです。ご推薦下さったすべての方々に心から篤く御礼申し上げます。
『王朝物語史の研究』秋山 虔
序章の「物語と物語文学」をはじめとして、以下、竹取物語論、宇津保物語論、歌物語論、源氏物語論、説話物語論の各章に、昭和三十一年に発表された最初の論文から現在に至るまでに書かれた四十篇の論文が配合されている。どの論文も研究史的に銘記されるが、それとともに現在・将来に対しても触発的な指針を提供しつづけているといえよう。
著者室伏氏の研究の特色は、当面する対象、問題領域に関する先行の論著への周到な目配りを怠ることなく、それらを批判的に摂取し、綜合しつつ、氏自身の論理を紡ぎ、そこに強壮な枠組の構築されていく呼吸のみごとさにあるといえよう。先行の新旧の論著が氏の論理の磁場のうえでいのちを賦与され、それがそのまま氏の論理の組成・展開に奉仕している趣がある。
いったい、物語文学のテキストをどう読み、何をそこから引き出すかは、まずもってその人のことばに対する感受性にかかわるのだといえよう。室伏氏の眼光にさらされて生動するテキストの言々句々の形姿に対面するとき、私はそのことを実感させられるのだが、しかしながら氏がいかに天性の資質に恵まれていたとはいえ、つねに自己を研究史のなかに、研究の現在の状況のなかに相対化しながら、しかるべき立脚地を探りつけ、方法を鍛えあげ、そこに確固たる氏自身の体系を創出した、その努力に脱帽のほかはないのである。
物語文学の発生から源氏物語へ、そして説話物語へと移動していく室伏氏の論述はまことに細緻をきわめているが、そうした作業がそのまま壮麗な物語文学史の山脈の偉貌を彫りあげる結果となっている。この微視的であることと巨視的であることとのみごとな釣合いも本書のえもいわれぬ魅力であるといえよう。