外間守善
折口信夫「国文学の発生」、西郷信綱「詩の発生」にみられる日本文学発生論の影響を深く受けた私は、すぐれて理論的なその仮説を実証するために、沖縄の古典『おもろさうし』を軸にしたその周辺の神歌群を網羅的に収集することを思い立った。
難事業であったが、三十年近い歳月をかけて『校本おもろさうし』『おもろさうし 辞典・総索引』、『南島歌謡大成』(全五巻)を刊行し終えたが、息つぐ間もなく私は、その次の『沖縄古語大辞典』の編纂にのめりこんでいった。でも、それらの収集整理の段階から見えだしてきていた呪言や神歌群の系譜と源流が、日本文学発生論にかかわってだいじなものであることは、ますます色濃くなってきていた。それらの片々を糸かがりして、現在私のでき得る限りで論文化したのが拙著『南島文学論』である。
その『南島文学論』がはえある角川源義賞を受賞したということは、南島文学論が沖縄的特殊ということではなく、学問的普遍性をもつものである、という評価をいただいたものとして、同志とともに心から喜びたい。そして、この受賞を誰よりも喜んでくださるのは、私の沖縄研究のすべてにかかわって励まし、助けてくださった今は亡き角川源義さん(角川書店元社長)であろうと思い、感慨無量である。ただけました。感謝申し上げます。
『南島文学論』吉川泰雄
沖縄の文学と言うからには、近代文学も込めて然るべきであろうが、著者は思い入れある山之口貘を取り上げ、戦争体験を経た作家たちの紹介で、その部分は収め、本書全巻は沖縄古代文学の広般・詳細な、現段階における研究の総説である。私も折口博士の、船霊のみせせりたる軌み音の事や、尚氏の出自の問題を口づから聴いたり、組踊りの公演に当って伊波普猷翁の温容にも接した。諸講座や事典の琉球方言・文学等の伊波翁の説を汲取する力は足らず、後年必要あって『世界言語概説』では、「日本語」とは別章に扱われていた「琉球語」を閲読したが、既に中年に足の掛った小生には実りがなかった。著者は仲原善忠氏の援を得て、『校本おもろさうし』の整理を果し、その辞典・総索引を公にし、南島全域にわたる神歌研究の成果『南島歌謡大成』を集大成した。その間奄美・沖縄・宮古・八重山の方言、多様の名目を、明しつつ分類・実態を説く。著者は元折口信夫博士の門弟、師の「国文学の発生」に逆に強く触発され、理解極めて深く、師説の背後にさえ徹する考案を示している(思兼神など)。敢えては師説に泥まず、詳しい臨地調査を以て師説を実証に運ぶ。従って「まれ人論は破錠か」の旨の一方の説には、当『南島文学論』自体を十分な回答と信じ、各論的な反論も混えている。
琉球語の理解が必要である歌謡中の常套語の謂いも関心を引く。一つには折口博士の感化もあろうか、本書中引用釈義する証歌には優れた逐語訳が付され、意訳に逸れることはない。特に沖縄方言の語彙・語義・文法・音韻史に著者が通暁している恩恵を蒙り、彼の方言がいかに本土語に吻合しているかが始めて知れる。呪禱文学からいよいよおもろの叙事文学へ、琉歌に代表される抒情歌へと、傍ら劇文学の発展を説くが、呪禱のうち神言と祝詞の対存が著者の詳細な調査にも拘らず遺存例は稀で、既に区別の見られぬことを認めている。なるほど、原始信仰を下れば神託も祈願も言葉のみのこととなりもしよう。
文学論に限ったため、民俗その他もろもろの参考事項に立入ることは抑制している。精密な専門書であると共に、心ある日本人みなの最高の教養書ともなろう。