神野藤昭夫
若い時から、物語とその周辺を幅広く研究してみたいという分不相応の願いを持っていた。とはいえ、実際のところは、散漫な興味のままに、物語の森をまさに彷徨するばかりであって、出口も見えないまま、いたずらに時だけが過ぎ去った。収穫するほかない季節を迎えて、せめて自分が何をやってきたのか、それをどう説明したらよいのかだけを考えてみた。失われた物語世界の側から、残された物語をみたらどうなるか。そうした一条の光のもとに見えだす物語史のダイナミズムを捉えようと試みたのが本書である。だが、事は慎重かつ実証的でなければならない。地を這うように基礎を固める一方で、豊かに飛翔する物語史を幻視しようとする二律背反に近い課題に、あえて挑戦した志が評価されたとすれば嬉しい。このたび、本書に栄誉ある角川源義賞が与えられるという。かかる僥倖は、多くの方々の激励の賜物によるものと頭を垂れるほかない。せめて、これまでの学的放浪を生かす努力を続けることで、御礼に代えたいと思うばかりである。
『散逸した物語世界と物語史』秋山 虔
いわゆる散逸物語の研究は、当初目録の学として近世後半期以来数々の著作を見ることができるが、近代になってから松尾聡氏の作業が緒となり、復元の学として数少ない諸家による研究が深められ、物語史の構想に組み入れられるようになった。しかし源氏物語を頂上としてその達成が人々の心を捉え権威づけられて今日まで伝存してきた少数の作品をつなぐ物語史の体系においては、いかにも附随的な扱いであったといえよう。
そうした従来の物語史像に抗い、散逸した物語の世界の研究を推し進め、その地平に視座を据えて物語史を捉えなおそうとする機運を強力に領導したのが本書の著者神野藤昭夫氏である。
この大著は五章から成る。Iには散逸物語研究の現況を踏まえたうえでの著者の意図・抱負が明確にうち出され、精細を極めた労作である「散逸物語基本台帳」がまず提示されている。Ⅱでは前期物語史の特質が散逸物語「はこやのとじ」の細緻な考究を通して析出され、次いで伊勢物語の位相や蜻蛉日記と物語史との関係が論ぜられ、さらに物語史に基本的発想として貫流する継子譚の定型に照らして源氏物語が組上にのぼせられた。Ⅲは斎院文化圏の解明と其処を母胎とする物語若干の復元と意義づけであり、Ⅳは物語史における短編の意義を問う堤中納言物語論と後期散逸物語群の発掘・復元の作業である。精緻周到な運びは規範的といえよう。Ⅴにおいては物語の改作が物語の本源にかかわるとする改作論をはじめとして若干の物語の位相・方法・特質を論じ、室町時代物語への展望に及ぶ。
散逸した物語世界に現存する少数の物語が浮遊しているにすぎないとする、本書における逆転の発想は魅力的であり新しい研究の沃野への方法的道標をうち出すものといえよう。