鎌田元一
私が勉強を始めた当時、日本の古代史研究は、戦後の自由な環境のもとでの飛躍的な発展を承け、百家争鳴、研究者間の議論の振幅が大きく、基礎的な史実の認定一つをとっても、なかなか一致した見解が得られないといった状況にあったように思います。そのような中で困惑するばかりの私は、少しでも議論の幅を縮めること、共通の土俵となる史実の確定を一歩でも進めることを課題として、今日まで細々と研究を続けて来ました。『律令公民制の研究』はその結果を取りまとめたものですが、思いに反して却って混乱を深めただけかも知れず、このような晴れがましい賞をいただくことに戸惑いを感じています。これを怠惰な私に対する叱咤激励と受けとめ、これまで折に触れてお世話になった皆様方の御好意にお応えできるよう、改めて研鑽に努めたいと思います。
『律令公民制の研究』平野邦雄
本書は論文集であるが、一つ一つの論文を単に集成したものでなく、大化前代のいわゆる「王民」から、律令制下の「公民」が編成されるまでの政治過程を追求するという視点において一貫している。
第一に、大化前代の部民制から屯倉制へ、そして大化を画期とする評制へと展開する部民→屯倉→評の構造的な連関を分析し、ついで、律令の国・郡制、村落の五十戸→里→郷里制への編成がえにいたる、それぞれの成立時期を確定しながら論じている。
そのあとは、律令制の根幹をなす大帳と計帳、課役、浮逃、田籍と田図、造籍と班田、大税と地子などの個別のテーマを取り上げるが、これらも全体像との関連のもとで論じている。
このようなテーマは、古代国家の成立についてのもっとも中心的で、かつオーソドックスなテーマであり、したがって著者の学問的立場も、その範囲内にあるといってよい。
第二に、オーソドックスなテーマには、すでに先行する代表的な学説があるのは当然で、本書もそのような学説を前提としないでは成立しない。しかし、本書の特色は、先行する学説と真っ向から向きあい、批判し、それを克服しようとする点にあって、その意味では、オーソドックスな範囲にとどまるものではない。
第三に、学説批判は、単なる批判に終るのでなく、先行の学説と基盤を共有しつつ、史料の実証手つづきを改めて繰りかえし、異なる分析視角を打ち出そうとする。それが部民制、評制、課役、班田、大税... ...など、応接にいとまのないほど広範囲に及ぶのであるから、その努力は並大抵のものではない。
読者は、それによって学説史ばかりでなく、各学説による史料の読解の仕方のちがいをフォローできることになるので、専門書として、理解しやすいものとなっている。
さて、第二、第三をあわせて、批判が正当なものかどうか、ことに先行する学説を主唱した研究者にとっては、論点の不足を指摘する向きが多いであろう。
しかし、本書の価値はそこにあるのではない。これだけの分野において学説史の主流に通じ、史料を改めて分析し直し、自説を打ち出すという業績は、最近の学界においては久しく杜絶えていたものであり、その点で清新の感を深くする。推薦する所以である。