角川源義賞

第43回 受賞のことば・選評公開
  • 2022.01.12更新
    第43回 受賞のことば・選評公開
角川源義賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第25回角川源義賞【歴史研究部門】受賞
『日本中世被差別民の研究』(岩波書店刊)
脇田晴子
【受賞者略歴】
脇田晴子(わきた はるこ)
1934年、兵庫県生まれ。神戸大学文学部卒業。京都大学大学院博士課程修了。大阪外国語大学などを経て、滋賀県立大学教授。文博。ワシントン州立大学、オックスフォード・セントヒルダス・カレッジ、仏国立社会科学高等研究院、豪モナシュ大学の客員教授。著書に、『日本中世商業発達史の研究』、『日本中世都市論』、『日本中世女性史の研究』、『女性芸能の源流』などがある。

受賞のことば

脇田晴子

 私は自分の関心のおもむくままに、研究をしてきました。農村構造全盛時代に商業史・都市史、それから女性史・芸能史、今度の被差別民史などです。理解して頂ける方は少なかったのですが、かわりに、同じ分野の方々とは親密な研究交流がありました。このたび、被差別民史の研究で、名誉ある角川源義賞を頂戴できましたことは、周縁の民から全体を見ようとする研究の意義を認めて頂いたものとして嬉しく存じます。この本は、三十余年前の故林屋辰三郎先生との散所論争から引き起こされてきたテーマです。触発される契機を与えてくださった林屋先生の学恩に感謝します。そしてその後、私なりの中世被差別民像を提供しなければと責任を感じてきました。まだまだ本質に迫りえない、書き尽くせなかったという憾みはありますが、私としましては一応のくぎりを付けた気持ちです。一緒に研究会で勉学をして頂いた方々に深く感謝致しております。

選評

『日本中世被差別民の研究』大山喬平

 日本社会において、いわれのない差別をうけた多様な人々の問題、穢多・非人をはじめとする被差別民の研究は、大正時代の先駆的な研究のあとをうけて、戦後早い時期に林屋辰三郎氏の散所研究として一つの体系的な理解に到達していた。林屋氏の研究は、その後に進展した中世身分制研究がさまざまな事実を明らかにすると、おいおい実証的不備が明らかになってきて、新たな体系的理解の出現が必要になっていた。ただ、ことは人類社会における差別の根源におよび、歴史における身分論にかかわって、むつかしい理論上の問題を抱え、石母田正氏・安良城盛昭氏の身分と階級相互の関係についての古い理解をはじめ、黒田俊雄氏の非人を「身分外身分」の存在とする整理、網野善彦氏による無縁の原理の衰弱を差別の発生にかかわるとする所説等々が出現して、議論が展開したが、多くの人々を納得させるような叙述はまだ出現していない。
 脇田氏は日本中世における身分差別の問題を、人間社会の文明の発展そのものがもたらした現象として説明している。人間の存在そのものは「生老病死」を不可避のものとするのだが、文明は、この「生老病死」にまつわる「汚穢」、あるいは毎日排出する「糞尿」などを、排除すべき不浄のものとして無視し、黙殺し、意識の外に放り出し、そのことを暗黙の了解として発達してきたとみる。肉体的な人間性を否定し、観念として浄化することによって「汚穢」から目をつぶり、これを弱者に担わせて捨象することによって発展を遂げたという。ここで弱者の役割を引き受けたのが、さまざまな形態をとる被差別民であったというのである。しかし、現代は人間存在の必然的な肉体性である「生老病死」を「汚穢」とは見なさず、必然的な営みとして把握する気運にある、と脇田氏は付言する。身分差別が歴史的な解消に向かっていることを、脇田氏は見通しているわけであるが、無理のない正当な解釈であるというべきである。
 こうした見地にたって、中世被差別民の成立と展開の諸相が、ここでは総括的に把握され、叙述されている。神道の動物供犠から放生会への展開、仏教による殺生禁断の思想の影響、非人と河原者の発生と相互の関係、散所非人、叡尊・忍性の非人救済、一遍の時衆と被差別民、三昧聖、陰陽師のかかわり、犬神人、坂の者、皮多、癩病人、清目、皮革業、さらには傀儡子、白拍子、声聞師から猿楽能などの芸能民の存在、また庭者と造園など、中世社会を織りなす多方面の事象のなかで、この問題が総合的に叙述されており、林屋氏にかわる新しい体系的な理解がここに出現したということができる。
 中世の被差別民の研究には多くの議論が積み重ねられており、全体を見渡しながら多くの読者にとって納得のいく叙述をなすことは、なかなかの能力でできる事ではない。本書は脇田氏一流の見識にもとづいて、それを見事になしとげている。


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