角川源義賞

第43回 受賞のことば・選評公開
  • 2022.01.12更新
    第43回 受賞のことば・選評公開
角川源義賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第26回角川源義賞【歴史研究部門】受賞
『書物の中世史』(みすず書房刊)
五味文彦
【受賞者略歴】
五味文彦(ごみ ふみひこ)
1946年、山梨県生まれ。東京大学文学部卒業、同大学院人文科学研究科修士課程修了。神戸大学講師、お茶の水女子大学助教授を経て、東京大学教授。博士(文学)。著書に、『院政期社会の研究』『平家物語、史と説話』『中世のことばと絵』『増補吾妻鏡の方法』『武士と文士の中世史』『徒然草の歴史学』『明月記の史料学』『源義経』などがある。

受賞のことば

五味文彦

 学生の頃、『群書類従』『続群書類従』を買いそろえて、そこに知らない本が沢山あるのを見てうんざりした記憶がある。そのときには、文書や歴史書にしかほとんど興味がなかったので、私がこのような本を書くとは誰も思わなかったことでしょう。それが院政期の研究を進める過程で史料探しを行うなか、また多くの書評を執筆するようになってから、書物に強い関心が向かい始め、『平家物語』や『徒然草』などを歴史学の視点から読み解きましたが、さらに広く書物を取り上げてきちんと評価し、歴史の材料としての有効性を吟味することの必要性を痛感し、本書を書くに至ったわけです。これに対して過分の評価をいただき、しかも『曾我物語』や『義経記』などの研究では随分と参考にさせていただいた角川源義氏に因む賞をいただけるのは、まことに光栄なことです。これを励みとしてさらなる研究に向かいたいと考えています。

選評

書物の中世史大山喬平

 書物にはかならず作者があり、作られた経過と製作年次があり、そして制作の意図がある。編著の場合も同じである。日本中世にも数多くの書物が作られた。ただそうした作品の多くは作者や制作年次が知られておらず、知られていても疑わしいものが少なくない。
 書物の作者、制作編成の年次を確定する試み、相互に関連しあう複数作品の前後ないし継承関係を明らかにする試みは絶えず続けられている。しかしこうした努力は文芸的価値に富む物語・説話などの分野に厚く、また特定分野ごとに行われることが多い。和歌や物語文学などを通して時代の精神や文化を語ることも不可能ではない。
 五味文彦氏『書物の中世史』が用いる分析の手法は何も特別のものではない。氏は、残された作品の内容を吟味し、そこにおける記述の偏りや濃淡を読み分け、さらに書かれた年代の上限と下限を示す記述を選び出し、それらを可能な限り絞り込み、可能性のある幾人かの作者を想定し、一人一人それらを比較検討しつつ、最後に特定の人物にたどりつくという作業を繰り返す。
 氏の仕事が他と異なるところは、中世におけるあらゆる書物を自らの分析対象として設定するところにある。氏は書物を通して、それらを生んだ当該社会の知的営為の全体を把握しようとしており、そうした研究の有効性を本書によって、多くの読者の前に見事に明らかにしたといってよい。こうして五味氏は、〈書物の性格を歴史の文脈において把握する〉という新しい研究領域を切り開き、中世の知の世界が、時代の変転とともに推移していく姿を、鮮やかに浮かび上がらせることに成功した。五味氏ならではの、まことに興味深い、先駆的な作品であり、歴史学にこのような領域があることを実例でもって多くの人に知らしめた。
 こういう仕事は博覧強記を必要とする。それを氏は軽々とやってのける。氏は自らの仕事を謎解きだという。ただ謎解きはむつかしい。最後にくるドンデンガエシの可能性がどうしてもつきまとうからである。逆にいえば、こうした仕事には決定的な証拠というものが本来得にくいのである。異論や反論の起こりうることを氏自身も織り込みずみである。氏の仕事はすでに膨大であるが、まだ中間点にさしかかったところでもある。氏自身、この作業の過程において次々に新しい課題と問題を見出しており、次なる作業への抱負をすでに繰り返し語っている。
 氏の仕事は、東京大学における伝統的な実証史学の確かさを踏み越えたところがある。その意味で、この作品は評価がむつかしい。著者はこうした作業を繰り返すことによって、徐々に「見えてきた」という表現を文中で幾度となく使っている。いくつかの異論は出るだろうが、こういう作業は必要であり、繰り返すことによって見えてくる世界がある。その作業に果敢にとりくんだところがいい。


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