角川源義賞

第43回 受賞のことば・選評公開
  • 2022.01.12更新
    第43回 受賞のことば・選評公開
角川源義賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第27回角川源義賞【文学研究部門】受賞
『西行の和歌の世界』(笠間書院刊)
稲田利徳
【受賞者略歴】
稲田利徳(いなだ としのり)
1940年、愛媛県八幡浜市生まれ。広島大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科博士課程単位取得。広島大学文学部助手、岡山大学教育学部専任講師・助教授を経て、現在、岡山大学教育学部教授。文学博士。著書に、『正徹の研究 中世歌人研究』、『中世和歌集 室町篇』(共著)、『中世日記紀行集』(共著)、『和歌四天王の研究』などがある。

受賞のことば

稲田利徳

 西行の研究書や評論書は夥しく刊行されていますが、その多数は自己の嗜好に合った和歌をアレンジして、人間西行を論評したものです。その点に不満を感じ、もっと歌人西行、それも彼の和歌の発想や表現や歌材を、伝統と創造のなかで把握し、その独自性を究明するとともに、その後の享受の様相も追究して体系化してみたい、その目標に向って、長年にわたり論述してきたのが拙著です。けれども、書き上げ、集成したものを読み返してみると、研究方法の愚直さ、読解の検証の未熟さが痛感され、当初企図したものが、どれほど達成されているか、覚束無い限りです。それにもかかわらず、拙著を評価してくださり、権威ある学術賞をいただき、今は恥ずかしさと嬉しさが相半ばしている心境です。本書を推薦していただいた研究者・選考委員の方々、刊行に踏み切ってくださった笠間書院並びに関係諸機関にそれぞれ感謝します。

選評

西行の和歌の世界井上宗雄

 日本詩歌史上きわめて大きな存在である西行の和歌に、正面から取り組んだのが、稲田氏の『西行の和歌の世界』である。
 稲田氏の研究の出発点は、いわゆる隠遁文学者――草庵作家とその系譜であったという。既に『正徹の研究』『和歌四天王の研究』といった大著によって、重要な草庵歌人の作品やその人間像を解明し、着実無比な研究者として学界から高い評価を受けている。氏が今まで手がけて来た正徹や和歌四天王(頓阿・兼好・浄弁・慶運)の系譜を溯って行くと、そこに聳立するのが西行であり、西行について氏の長年の研究成果をまとめたのが本書である。
 本書は、序章と本論五章とから成る。
 序章「西行の和歌研究の指向」では、従来の研究が人間西行に重点を置く偏りに不満で、西行の和歌そのものについての分析を詳しく行うという姿勢を明示する。第一章「西行の和歌の形成」では、西行歌の発想・措辞における和泉式部らの先行歌からの影響、また、同時代歌との関わりを綿密に調査・追究する。第二章「西行の和歌の表現」では、歌材「風」「友」等の扱われ方や歌枕歌の特色などを考察する。第三章「西行の和歌の解釈」では、「たはぶれ歌」「枝折」の歌ほか問題ある歌を対象として、従来の解釈に疑問を発し、詳細な分析を通して著者の解釈を提示する。第四章「西行の和歌の享受」では、新古今歌人を含む同時代の歌に、西行の歌がどう受けとめられたかを詳論し、第五章では、その題名の如く「西行の名歌説話の生成と展開」を考察する。
 西行に関する研究は、著書も論文も汗牛充棟といって過言ではないが、稲田氏はそれら過去の業績を批判的に摂取しつつ、きちんとした調査・研究方法によって多くの新見を提示する。その幾つかを掲げよう。
 西行はしばしば歌壇から孤立した歌人と見なされがちであったが、実は歌会での詠の多いことを、歌の発想・素材を詳しく検討することによって論証し、かなり広い交友圏を持って、そこからの影響を詳論する。また、西行歌には伝統に即した面の多いこと、修辞技巧の多様さなどが鮮やかに指摘されている。西行歌をすぐ「人間西行」(仏道修行者・隠遁者など)と結びつける理解に対して、着実な表現分析によって実態を明確化し、西行独自の世界が形成されて行く過程を、説得力をもって論述している。更に、同時代の人々が西行をどのように摂取したか。良経・慈円らの受容を明らかにすると共に、反面、定家や家隆など専門歌人には享受が希薄であることの指摘など、実に鋭いものがある。
 本書の、厳密な手続きによって西行歌の世界を追究して得た成果にはきわめて大きいものがあるが、一方、著者自身もいうように、西行の「歌の心臓の在りか」(小林秀雄の言)を「捉える域にまで到達するには、まだいくつもの階梯が必要」(稲田氏の言)ではあろう。また、西行のような巨大な作者の全貌は一人の研究者によって明らかにし尽くすことは至難の業でもあろう。しかし、西行の和歌に正面から対峙してその性格を鮮明にし、数々の新見を提示した本書は、研究史的にも高い位置を占める高度な学術書として、学界に大きな影響を及ぼすことは疑いないと思われる。


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