角川源義賞

第43回 受賞のことば・選評公開
  • 2022.01.12更新
    第43回 受賞のことば・選評公開
角川源義賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第27回角川源義賞【歴史研究部門】受賞
『日本古代金石文の研究』(岩波書店刊)
東野治之
【受賞者略歴】
東野治之(とうの はるゆき)
1946年、兵庫県西宮市に生まれる。甲陽学院高校、大阪市立大学文学部を経て、1971年、同大学院修士課程修了。1993年、東京大学博士(文学)。学位請求論文は『日本古代木簡の研究』。1970年、奈良国立文化財研究所文部技官となり、以後、奈良大学文学部助教授、大阪大学文学部教授を経て、1999年から奈良大学文学部文化財学科教授。

受賞のことば

東野治之

 私にとって、賞をいただくのは、昭和六十三年(一九八八)の濱田青陵賞以来、二度目のことになる。いまから十七年も前のことで、その時は年齢も若く、緊張した反面、かえって気楽なところもあった。これから賞にふさわしい仕事をするよう、がんばればよいと思えたからである。しかし、還暦を目前にしての受賞となると、はたしてそれに値するだけの仕事をしてきたであろうかと、忸怩たるものがある。ありがたいのは、古代の金石文研究という目立たない分野に、光を当てていただいたことであろう。昨年から今年にかけては、井真成の墓誌のおかげで、この種の史料も少しは注目を集めたが、それでも地味な世界である。実物に即した検討が何より大切なこの分野に、長年かかわらせて下さった多くの方々や、こうした研究を受賞対象に選んでいただいた選考委員の先生方に、あらためて厚く御礼申し上げたい。

選評

日本古代金石文の研究石上英一

 歴史は史料の正確な解読により明らかにされる。後の時代と比較して史料の少ない古代社会についても、文字により記録された歴史情報、すなわち史料の重要性が変わることはない。しかし、七世紀までの歴史は、『古事記』や『日本書紀』など八世紀初めに編まれた史書を、内在的な分析、外国史料との照合、考古学により明らかにされる事実の参照などにより、史料批判することが必要とされている。この史料批判において、同時代性を有することが少なくない金石文は、木簡と並ぶ重要な史料群である。そして金石文等は、史書の及ばない社会の諸相も記している。
 東野治之氏は、漢籍の素養の上に、一貫して、古代文字史料を多面的にかつ東アジア文明の中で研究する姿勢を貫かれてきた研究者である。『日本古代金石文の研究』は、まず飛鳥・白鳳時代の造像銘と墓誌を総覧し、ついで江田船山古墳大刀銘、法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘・台座銘、法隆寺金堂四天王光背銘、法隆寺献納宝物の銘文、天寿国繡帳の図様と銘文、法隆寺伝来幡墨書銘、法起寺塔露盤銘、那須国造碑、上野三碑、聖武天皇勅書銅板、薬師寺仏足石記、大安寺碑文などを次々と分析する。総論をなす造像銘と墓誌の論考で触れたものも入れれば、八世紀までの金石文の過半を論じたと言えよう。しかも、実物の詳細な観察にもとづいての分析であり、また、天寿国繡帳や那須国造碑など、研究史の輻輳するものを正面から取り上げている。金石文は、一般に様々な解釈が可能であり、東野説も批判の対象となることもあろう。しかし、本書に示される諸見解は、今後の金石文研究の基礎となるものである。
 東野氏は、初め奈良国立文化財研究所に勤められ、木簡の調査・研究にあたられると共に、研究所の飛鳥資料館において開かれた造像銘・墓誌の画期的な展覧会を通じて、金石文研究の方法と視野を確立された。その後も、法隆寺献納宝物銘文や法隆寺仏像銘、上野三碑などの調査に参加されている。
 東野氏は、政治理論のようなことを語るのは控えめであるが、様々な金石文の分析の背後にあるのは、七世紀における王権の成立過程を実証するという強い目的意識である。付編とされる「大王号の成立と天皇号」に集約される、天皇号の成立を天武朝末期におく考えは、金石文研究を基礎とする実証として、古代史学界で大きな評価を得ている。また、那須国造碑の分析は、孝養思想を析出し、法隆寺伝来命過幡の分析と共に、宗教的・道徳的思想の展開を紹介する論として興味深い。
 東野氏は木簡の調査・研究の成果を、『日本古代木簡の研究』(一九八三年)、『長屋王家木簡の研究』(一九九六年)としてまとめられた。また、東アジア世界の文化交流の中で獲得された日本古代文化について、遣唐使や正倉院を通じて文字史料に焦点を置きつつ、『正倉院文書と木簡の研究』(一九七七年)や『遣唐使と正倉院』(一九九二年)などで解明されてきた。さらに、木簡や金石文に限らず、史書や法制史料あるいは文学作品などの大部の文献の陰にある、あるいは、それらの中にありながらも見過ごされている様々な文字史料に注目されてきた。そして、この度の『日本古代金石文の研究』により、東野氏の文字文化史料の総合的研究の全容が明らかとなった。まさに古代史の卓越した研究として角川源義賞にふさわしい書である。


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