角川源義賞

第43回 受賞のことば・選評公開
  • 2022.01.12更新
    第43回 受賞のことば・選評公開
角川源義賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第28回角川源義賞【歴史研究部門】受賞
『近世後期政治史と対外関係』(東京大学出版会刊)
藤田 覚
【受賞者略歴】
藤田 覚(ふじた さとる)
1946年、長野県上伊那郡箕輪町生まれ。千葉大学文理学部卒業。東北大学大学院博士課程中退。1975年、東京大学史料編纂所教務職員となり、助手・助教授・教授を経て、1996年から同大学大学院人文社会系研究科教授。文学博士(東北大学)。著書に、『幕藩制国家の政治史的研究』『天保の改革』『松平定信』『近世政治史と天皇』『幕末の天皇』などがある。

受賞のことば

藤田 覚

 賞とはまったく無縁の私が、思いもかけず角川源義賞をいただき、驚いています。江戸時代後期の歴史を、幕府政治の推移と朝幕関係、および対外関係から解明する、という趣旨で研究をしてまいりました。受賞の対象となった本書は、対外関係を国内政治と関連させながら考察するため、課題を設定して史料を博捜し、繰り返し読み込んで素朴に実証的な論文を書いてまとめたものです。日本の外交が世界から問われている現在、いくらか今日的な意味もあるのでは、と思います。東京大学という相対的に研究条件に恵まれた職場にいますので、その程度の成果しか出せないのか、との叱責を恐れながらやってきました。還暦を迎え、残り時間はわずかですが、受賞を励みに少しでも実証的な研究を続けたいと思っております。

選評

『近世後期政治史と対外関係』朝尾直弘

 近世の対外関係史において、宝永六年(一七〇九)新井白石のシドッチ尋問から嘉永六年(一八五三)のペリー艦隊来航に至る一世紀半の時間帯は、研究の空白とはいえないまでも、さほど盛んともいえず、人によっては退屈に感じる向きもある。本書はそうした印象を一新し、たしかなわかりやすい説明を提示した。
 この時代を前後に二分するのが寛政の改革だが、著者は『幕藩制国家の政治史的研究』(一九八七年)、『近世政治史と天皇』(一九九九年)など、その後半期の政治・社会史研究に実績を持つ。本書は「鎖国祖法観」の追求を軸に、旧著を承け、内政と外交の統合的把握を試みた。祖法観とは、通信の国として朝鮮と琉球、通商の国にはオランダと中国があり、右四か国以外とは通交を拒絶し、相手が肯じない場合は「武威」によって打ち払うという外交の基本方針で、幕府はこれを「我が国の祖法」とした。歴史的事実には明らかに反するこの観念は、幕末欧米列強の使節に対しては「国法」と説かれた。一般読書人にも、漠然と寛永鎖国令以来の古法・旧制を総括表現したものとみなされてきた。ここに事実と異なる溝ができ、対外関係史の統一的理解を困難にする原因があった。著者はそれがロシア使節ラクスマンとの交渉に際して松平定信により創出されたことを明らかにした。漂民送還と通商要求を掲げたラクスマンに対し、定信は現実には発動し得ない「武威」をかざしつつ衝突を避け、体制の維持を図ろうと努めた。名分を整えた相手に対し「礼と法」を応接の基本に据えた理由はそこにあった。「法」により諭し帰国させるねらいであった。「法」はレザノフへの回答において「国法」となった。架空の「法」はロシアの要求に対抗する現実の効力を発揮した。
 ロシア使節の来日は北方での開国論に勢いをあたえ、祖法観に拠る勢力とのあいだに激しい政策論争を引き起こす。蝦夷地の支配体制と開発の形態をめぐる問題が政治の中心課題となり、幕府内部にも対立が生じる。支配を松前藩にゆだね、アイヌとの商取引を残したままロシアに開国するか。幕府が直轄支配下に置き、アイヌを百姓化して日本の生活・風俗・言語・文化を学ばせるか。議論を背景に、二次にわたる蝦夷地の上知が実施される。外国船の応接も、無二念打ち払い令と薪水給与令の、両極端とも思える政策に揺れる。いずれも右の構図のもとに起きた。
 動乱期の政策決定過程に参加したのは、将軍・老中のもと、三奉行・勘定吟味役・大小目付以下の人々、しだいに下層へと広がる。別格に林大学頭、周縁に本多利明や最上徳内らがいて、現地調査などに従事した。幕府役人の評議留を始め、当事者間でやりとりされた多種多様な文書がよく選択、吟味され、けれんもてらいもなく坦々と解説されるうちに、読者は時代像の核心に触れる事実群へと導かれる。著者の自負する史料捜しの「幸運」も、長年の研究に裏づけられ磨きぬかれた「勘」による成果であろう。選考委員全員一致の決定であった。


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