角川源義賞

第43回 受賞のことば・選評公開
  • 2022.01.12更新
    第43回 受賞のことば・選評公開
角川源義賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第30回角川源義賞【文学研究部門】受賞
『世阿弥の中世』(岩波書店刊)
大谷節子
【受賞者略歴】
大谷節子(おおたに せつこ)
1960年生まれ。京都大学文学部国語国文学科卒業、同大学大学院文学研究科博士後期課程修了。日本学術振興会特別研究員、神戸山手女子短期大学専任講師を経て、現在、神戸女子大学文学部教授。博士(文学)。主な論文に、「合身する人丸――和歌秘説と王権――」(『王権と神祇』思文閣出版)、「素謡の場――京観世林喜右衛門家と田福・月渓――」(「神女大国文」11号)。

受賞のことば

大谷節子

 角川源義賞を私が戴くには、相当の覚悟を必要とします。この賞は、恩師の佐竹昭廣先生、日野龍夫先生を始め、既に国文学研究の殿堂におられる先生方がお受けになってこられたものであり、私のような走り出したばかりの一学徒が戴くには、あまりに重い賞です。しかし、これは世阿弥の作品がもっと読まれることを望まれての差配と観念致します。御推挙下さいました方々に、心より御礼申し上げます。「能を研究することで、国文学史を書き変えよ。」これは、伊藤正義先生のことばです。先生の命を全うするには、私は非力に過ぎますが、能の研究はそのような心構えでなされなければならないという教えと受け止め、精進致したく存じます。小著は、二十三歳の時から二十三年間に亘って発表した論文をまとめた最初の論文集ですが、個々の論文は本の形を与えられたことによって、新しい意味を付されました。本の力です。出版にご尽力下さった関係の方々に深甚の感謝を申し上げます。

選評

「『世阿弥の中世』について」井上宗雄

 『世阿弥の中世』は序章と本論四章とから成る。
 序章において、著者は、世阿弥が能という形式の文学をいかにして確立したか、その解明を目ざしたことを述べて、本書の構成を詳しく記している。
 第一章「逆転の構図」は、世阿弥の作品に見られる「心」と「理り」をめぐる問答を取り上げ、「貴」「賤」、「都」「鄙」といった逆転の視座(矛盾するものに対極の真理が内在するという視点)による本説の解き明かしの構造を明らかにする。
 第二章は「本説と方法」。七節に分けて論ずる。中世は秘説・秘伝を重視し、本説を求める時代であった。本説とは出所・出典をいうが、その本説を求めるのは古典に範を求める精神で、それを理解するため、夥しい注釈による考察を行っている。『伊勢物語』の注釈『和歌知顕集』、『古今集』に関する中世の彪大な注釈が能に与えた様相を詳しく述べている。
 第三章は「物狂能」について、第四章は「脇の能」についての考察。多くの注目すべき見解が示されているが、そのすべてが単なる解説ではなく、精緻な論証に基づいたものである。例えば、「脇の能」は祝言の能であるが、中世の人々は不穏な世の中でこそ祝言を必要としたことが明確に指摘されている。
 以上、要旨ともいえない不充分な記述であるが、著者が、能作品・能論を精細に読み解くことによって、このジャンルがどのように確立されたかを、徹底的に追究しようとする姿勢を明確に見てとることができる。
 能作品が形成されるに当たっては、和歌・連歌・早歌(そうが)・漢詩など、調べを持つジャンルはもとより、広く経文(きょうもん)・神話・物語・説話・軍記・縁起・注釈等々が集約されており、著者は、夥しい作品を実に丹念に読み解いてその本質を究明しているが、その結実が、この内容の濃い著書であることは申すまでもあるまい。
 以上の内、とりわけ私の専攻から見て敬服したのは、中世和歌、就中、注釈書類が能に大きく影響している点を仔細に分析し、その様態を明らかにしたことである。注釈書の中核を為す『古今集』のそれは片桐洋一氏の『中世古今集注釈書解題』に多く収められているが、この『解題』所収の注釈書はもとより、『伊勢物語』の注釈、また順次発見された注釈書類を、あまねく活用して論証を深めている。一例を挙げると、能「長柄の橋」については、『古今集』序にみえる「長柄の橋」に関して記述された夥しい注釈類の説を見事に整理して能作品への影響を論ずるが、これ自体が優れた和歌論文の一編と見ることができる。
 本書は、複雑な論証に基づいた内容が平明達意の文章によって記述されており、世阿弥の作品論として極めて高い水準にあり、同時に、和歌を含む中世文学研究全般に多大の寄与を為す学術書として評価しうるものであると確信する。


受賞者一覧に戻る