角川源義賞

第43回 受賞のことば・選評公開
  • 2022.01.12更新
    第43回 受賞のことば・選評公開
角川源義賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第30回角川源義賞【歴史研究部門】受賞
『オランダ風説書と近世日本』(東京大学出版会刊)
松方冬子
【受賞者略歴】
松方冬子(まつかた ふゆこ)
1966年、東京都生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。同大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学史料編纂所助手、同助教授を経て、現在、同准教授。博士(文学)。1997~98年ライデン大学にて在外研究。主要論文として「近世後期『長崎口』からの『西洋近代』情報・知識の受容と翻訳」(『歴史学研究』2008年大会特集号)など。

受賞のことば

松方冬子

 このように栄誉ある賞を、私のような若輩者に賜りましたことを、心より光栄に存じます。身の引き締まる思いがすると同時に、将来へのお励ましと受け取り、なお一層の精進をここにお誓い申上げます。本書は、江戸時代に作られたオランダ風説書という一連の文書に着目し、文書の内容となる情報を提供したオランダ人の立場から、情報源や作成過程などについて、史料学的考察を加えたものです。用いた史料のほとんどはオランダ語であり、叙述はときにヨーロッパやアジア各地に及んでしまいます。このように、日本史という枠組みからはやや逸脱ぎみの本書を、「日本」を掲げる角川源義賞の対象として評価していただいたことは、望外の喜びです。この嬉しさを励みに、諸先学から受け継いだ、オランダ語史料を用いた日本史研究の学燈を絶やさないよう、より豊かな実証研究に向けて努力いたしたいと存じます。

選評

「東西文明の接触現場を浮彫りにした二篇」朝尾直弘

 蒸気船の出現により「世界がひとつに結ばれ」、東西の文明が接触した時期、日本列島においてたまたま職務上その現場にいて接触を如実に体験し、それを理解し受け入れる立場に立った人々に関する記録が二篇揃った。歴史と現代との符合について、深く考えさせられるところがあった。

 眞壁氏は、徳川幕府の「正学」を担った昌平坂学問所に親子三代にわたり儒者として勤務した古賀精里・侗庵・謹堂の学問と政治思想を、一次史料の丹念な採訪にもとづき復原、検証し、忘れられていた対象に光をあて新しい研究領域を開拓した。学問所には寛政以降諸藩のエリートも結集していた。古賀家の三人は佐賀藩の藩政改革、海防論の台頭から幕末にいたる政治的諸事件のなかにあって、幕府外交の全権を手にするまで関わり、家学の現実への対応力を確かめ、儒学の「変通」概念を深化、展開させた。それはただに時処への適応にとどまらず、十九世紀の世界情勢の認識にもとづき、歴史への対応を求める点でより広い視野を持ち、普遍的な論理に立つものであった。一八四四年オランダ国王が開国を勧告する親書を寄せたとき、幕閣はこれを拒否したが、侗庵は「互市」承認の文書を残している。その政治思想が幕藩エリートたちに国家の政治外交を主導する力を発揮させる。著者はそこに日本近代における体制内官僚を政治的主体とする改革の淵源を展望し、維新変革のあらたな位置づけと解明に筋道をつけようとしている。
 眞壁氏がヒトの思想・行動に即し分析を進めたのに対し、松方氏は「鎖国」研究の本流を継承する立場から対外関係史研究の諸段階を整理し、それを土台にオランダ風説書について一通ごとに史料批判を加えた。いうまでもなく、これはオランダ商館長が江戸参府のさい将軍に提出を義務づけられた海外情報の記録である。ここではモノとして、それができあがり、献上されるまでの手続きを含め子細に追求される。一六五九年に幕府から提出を義務づけられ、一六六六年に定例化した。幕府が入手した海外情報はこれ以外に中国船を通じたものがあるばかりだった。その情報源は当時ヨーロッパに台頭、発展しつつあった新聞であり、東アジアではそれがランダ東インド会社を中継して各地に集散していた。風説書はネットワークに加入したかたちで、いわば長崎支部を構成する側面も有した。ネットの外ではヨーロッパ勢同士の激しい角逐があり、風説書の終局となった一八五九年には情報戦の主導権はイギリスに掌握されていた。長崎では情報をただ転送していたのではなく、江戸への提出以前に長崎奉行所と通詞たちが項目の選択・翻訳に苦心していた。風説書はこの「通常の」風説書と、アヘン戦争以後に提供された「別段」風説書と両者あいまって形成された。

 儒者と通詞、漢文とオランダ文など、相異点を持ちながら、ともに徳川幕府直轄の機構に統括され、東西文明の接触現場に居合わせ、接触の引き起こすさまざまな問題と苦闘せざるをえなかった知的職業集団の活動を描きだした点で、意義ある作品が揃ったものである。それぞれ独立の論文であり、ヒトとモノへの注視という対照的な方法をとりながら、背後にいる人間を浮かびあがらせた。双方に通底する無意識の課題意識が面白く、揃って入賞となった。
 


受賞者一覧に戻る