角川源義賞

第43回 受賞のことば・選評公開
  • 2022.01.12更新
    第43回 受賞のことば・選評公開
角川源義賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第32回角川源義賞【歴史研究部門】受賞
『江戸後期の思想空間』(ぺりかん社刊)
前田 勉
【受賞者略歴】
前田 勉(まえだ つとむ)
1956年、埼玉県生まれ。東北大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。東北大学文学部助手(附属図書館調査研究員)、愛知教育大学教育学部助教授をへて、現在、同教授。博士(文学)。 著書に、『近世日本の儒学と兵学』、『近世神道と国学』、『兵学と朱子学・蘭学・国学』、訳注『先哲叢談』 (源了圓共著)、編著『新編 日本思想史研究――村岡典嗣論文選』など。

受賞のことば

前田 勉

 本書で取り上げた只野真葛という孤独な女性思想家は、「小虫すらおほくつどへば、燈を顕す」と述べています。自分が取るに足らない「小虫」であることを意識しつつも、そうした「小虫」も数多く集まれば、大きな力を発揮できるのだ、という自信のみなぎった言葉です。事実、江戸後期は、「小虫」たちが集い、ぶつかりあい、新たな思想を生み出し、眩い光を発する「燈」となった豊饒な時代でした。第一編では、そうした「小虫」の集った場としての会読という読書法と、彼らの世界地理と日本歴史の認識に注目して、「燈」の全体像を描き出しました。また第二編では、思想家の内在的理解の方法によって、「小虫」の痛切な思いを再現することを目指しました。この名誉ある賞をいただいたことが契機になって、本書を通じて、江戸後期の「小虫」たちの声に耳を傾ける人が、一人でも増えれば、これに過ぎる喜びはありません。

選評

「近世思想史の新しい視座」脇田 修

 著者は、すでに『近世日本の儒学と兵学』『近世神道と国学』などの著書があり、また本居宣長や村岡典嗣の論文刊行にあたっての校訂という基礎的業績もある、近世思想史についてのすぐれた研究者である。
 さて本書では、従来もおこなわれてきた個人や流派の思想を分析する方法をとらず、近世後期における儒学・国学・蘭学をはじめとした多様な思想の存在と交錯する空間をとりあげるとしている。
 まず第一編「思想空間の成立」では、議論・討論によるコミュニケーションを重視し、とくに荻生徂徠に始まるとする会読の流行を、正学派朱子学において検討し、さらに昌平黌や藩校などにおける情況をとりあげて明らかにした。そしてその原理的な問題から、それが対等な人間関係の場としてあることを評価し、ついで時代の流れのなかで、経学的議論から政治的な議論へ展開することを指摘する。この会読の効果については、蘭学における緒方洪庵の適塾での経験は福沢諭吉らが回想するところであるが、ここでは儒学から蘭学・国学を含めて広く論じられている。ただ主題との関係で省略されたのであろうが、会読のさいの師弟関係についての言及がもう少しあっても良かったと思う。ついで蘭学者の国際社会イメージ、国学者の西洋認識を検討し、後者では、とくにその受容しがたいものが、「共和政治」と国家平等観であったとするのは興味深い。またその封建・郡県論に及んでいる。
 第二編「国学と蘭学の交錯」では、どちらも近世中期以降に展開しただけに、この異質の学問の交錯という情況を基底においた分析は重要である。交流ではなく、交錯とされたのはそれなりに意味があると考えるが、この交錯という情況の実態をさらに深めてほしかった。そして、ここではまず近世での神話解釈をおいて、山片蟠桃・司馬江漢・本多利明・只野真葛・渡辺崋山・佐久間象山、さらに水戸学から伴林光平・南里有隣・津田真道と、幕末から明治前期にいたる著名な知識人の西洋認識や日本と日本人意識などをとりあげて、検討している。この主題に即した人物の思想分析も、多彩で興味深いものである。
 以上のように、本書は、幕末・明治前期における思想情況について、思想空間や異質の学問の交錯といった独自の主題をおいて、それぞれ分析をおこない、すぐれた成果をあげている。望蜀の感も述べたが、本書は角川源義賞を受賞するにふさわしい労作と考えて、推薦する次第である。


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