角川源義賞

第43回 受賞のことば・選評公開
  • 2022.01.12更新
    第43回 受賞のことば・選評公開
角川源義賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第34回角川源義賞【文学研究部門】受賞
『〈時〉をつなぐ言葉 ─ラフカディオ・ハーンの再話文学』(新曜社刊)
牧野陽子
【受賞者略歴】
牧野陽子(まきの ようこ)
1953年、東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科イギリス科卒業。同大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻博士課程修了。博士(学術)。現在、成城大学経済学部教授。『〈時〉をつなぐ言葉』は、2012年、第11回島田謹二記念学藝賞も受賞。著書はほかに、『ラフカディオ・ハーン――異文化体験の果てに』、『講座小泉八雲I・Ⅱ』(共編)。

受賞のことば

牧野陽子

 このたびは伝統ある角川源義賞という栄誉を賜り、まことに有難うございました。角川文化振興財団および選考委員の先生方に深く御礼申し上げます。錚々たる歴代受賞者の末席に名を連ねさせて頂けることに、驚き、感激し、緊張しております。
 ラフカディオ・ハーンの作品に出会ったのは子供の時、ドイツにいた頃でした。日本文化紹介の行事で映画の『怪談』をみて、その不思議な魅力が心に残りました。その後、比較文学比較文化研究の大学院で外国人の日本発見という観点から作品を読み始めましたが、それは私自身の日本再発見でもありました。そしてハーンが特に日本の民話伝説に心惹かれ、再話をしたことの意味について考えるようになりました。日本古来の感性とハーンの想像力が新たに放つ魅力ばかりでなく、再話が文学の根源的な営みとしてなされていることにも感じ入ったのです。再話、つまり人々の思いの積み重ねとしての過去の〈時〉を受けとめて、未来につないでいく大切さを、今、いっそう強く感じております。
 この受賞に感謝し、励みとして、さらに努力を重ねて参りたいと存じます。

選評

「日本の過去の心を世界にひらく」芳賀 徹

 ラフカディオ・ハーンによる日本民話の再話法についての研究であるこの書物が、どうして「〈時〉をつなぐ言葉」と題されているのか。一見、難しい題名だ。だが、著者牧野陽子さんの、ハーンの『怪談』その他の作品をつぎつぎに取りあげて、原話とも比較しながら鋭くしなやかに、親密に、読みといてゆくその論述に魅せられてこの書をたどれば、たちまち納得されてくる。「〈時〉をつなぐ」とは、ハーンが来日以後とくに一貫して抱いていた問題意識であり、著者はそれを強く把握してここにみごとに明らかにしたのだ、と。
 民話や伝説はどの民族にとっても祖先たちの豊かな想像力の働きを伝え、過去の明暗を担い、さらに遠く人間というものの前世の記憶にまでつらなっている。ハーンは日本民話の伝えるなまなましい身体感覚をよく再話に生かしながらも、そのなかに宿される土着の過去をこえて、そのかなたに人間普遍の心性を探りあてていったのである。その点を著者はしっかりと次のようにまとめている。
 「このような、滔々たる人類の歴史とともにある物語に向かい合い、それに自らの表現を投影して、その幻影の重なりを言葉にして残すこと。それが、過去の無数の命を引き継ぐ、みずからの存在の確認となり、同時に、未来の命へとつながることであると、ハーンは考えた。」
 まさにそのようなものとして、「むじな」の「二度の怪」の物語は、原話から換骨奪胎されて、恐怖と安堵、幻と現実が奥の奥まで繰返される抜きさしならぬ生の空間感覚の表現となった。「耳なし芳一」も再話されて、詩歌の力と藝術家の運命を象徴するオルフェウスの物語の一つの変奏曲にまで昇華された。「雪女」でも「夏の日の夢」の浦島の物語でも、その奥に思いもよらぬ深く広い夢幻の世界がひろがり、その中には西インド諸島の古民話もボードレールも夏目漱石もチェンバレンも画家ゴーギャンさえも往き来する。
 ラフカディオ・ハーンは日本民話を英語で再話することによって、これを世界普遍の文学として近代の日本と西欧に与えた。著者牧野さんはこの〈時〉をさらに受け継いで、二十一世紀の未来の命へとつなげたのである。


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