原 道生
このたび、拙著に対しまして、角川源義賞を御授与下さいましたこと、大変光栄なことと深謝申し上げております。
同書に収録致しました諸論の基盤には、私なりの演劇観、すなわち、人々が芝居を見る場合、まずその時の舞台の上に展開される筋立てを通してどのような劇的状況が創り出されているのかに興味を惹かれ、さらにそうした虚構の時空の中に登場させられてくる人物たちの言動に直接立ち会うことによって、自分たちの日常にあっては滅多に得られないような新しい発見や感動を体験することに喜びを見出すものであるという、至極素朴な見解が共通して存しているといってよいでしょう。
そして、特に近松の場合には、それらすべての要件に対し、すこぶる洗練され、且つ誰にでも理解され易い、彼独特の優れた言葉の表現力を活かして、極めて的確な具象化を施すことにも長けていたものと思われます。
それらの実態をさらに十全に捉えるための試みが、今後に残された私の課題と考えています。
「近松劇の手法と文学精神の解明」揖斐 高
受賞作『近松浄瑠璃の作劇法』は、著者原道生氏の五十年に及ぶ近松門左衛門研究の集大成ともいうべき大著である。戦後の近松研究は歴史社会学的な研究、それへの反動としての反近代主義的な研究、あるいは上演史研究、また正本(しょうほん)の書誌学的研究などさまざまな方法で行なわれてきたが、原氏はそれらの研究成果を生かしつつ、一貫して近松作品の劇(ドラマ)としての特質の解明に取り組んでこられた。
本書での圧巻は、二百四十頁に垂(なんな)んとする『大織冠』論である。大織冠すなわち藤原鎌足をめぐる説話を素材にする中世以来の作品を網羅的かつ精緻に検証して、近松の時代物浄瑠璃『大織冠』成立までの変遷が跡付けられ、『大織冠』という作品の特徴が「玉のない玉取り劇」という基本構造にあることが明らかにされている。文字通り誠実にして重厚、文学研究の王道を示した作品論と評することができる。
このほか時代物浄瑠璃の研究では、「三段目の悲劇」の再検討、零落した主人公の「やつし」の趣向の分析などが試みられ、世話物浄瑠璃の研究では、登場人物たちの社会的な制約や心理的な障壁の象徴として用いられる「戸口」の意味、また主人公の「心中」における「死」の表象が、作者近松の主人公に対する評価と深く結びついていることの指摘など、近松作品を読み解くための重要な関鍵(かんけん)について、数多くの有益な分析がなされている。
原氏の研究を支える視点は、近世的な状況の中で近松はいかにして「人間」を発見していったのかというところにあった。そして、その視点に拠って原氏が得た結論は、近松は登場人物たちの「死」に至る道筋を描くことによって、その真摯ではあっても惨めなものでしかなかった彼らの「生」を救済しようと試みたということであり、そこに原氏は虐げられた人間に対する近松の温かな視線の存在を見出したのである。
このようにして近松作品の演劇的・文学的な特質をみごとに解析した本書は、しかし、研究者だけに向けて書かれた堅苦しい研究書ではない。専門外の読者に対しても近松作品の魅力とその源泉とを説き示す、開かれた書物になっていることも併せて指摘しておきたい。