塩出浩之
近代における日本人の移民は、これまで日本史学であまり研究の主題とされてきませんでした。また扱われるとしても、ナショナル・ヒストリーとしての日本史とは別に移民の歴史が存在するという暗黙の前提があったように思います。しかし、もし日本史が「日本人の歴史」だとしたら、境界をまたぐ移民たちもその一部ではないのか、というのが本書の出発点にあった疑問でした。
明治期の内地雑居論争を調べているうち、北海道移民とハワイ移民が同列に論じられているのを不思議に思い、そこから移民たち自身を主役とする政治史を描くといういささか無謀な試みが始まりました。樺太移民の研究に踏み出すと、もはや近代の日本人移民について包括的に考察しないと研究が完結しないことに気づかされました。台湾・朝鮮・満洲・南北アメリカの日本人移民の歴史、そして戦後の引揚げ・国内開拓・海外移住の歴史までを書き終えたときには、およそ十八年が過ぎていました。
このような本書が思いもかけず誉れある賞を賜り、日本史学の研究として評価を頂けたことは、喜びと感謝の念に堪えません。受賞を励みに、今後も一層努力して参ります。
「移民・植民研究に新たな光を当てる」 高村直助
近代における移民・植民に関する研究はかなりの蓄積があるが、受賞作『越境者の政治史』は、この分野の研究に新たな視点から光を当てた力作である。
いわゆる内地から、国家領域の内外を問わず外に出て行った人たちを、本書は「越境者」と名付け、広くアジア太平洋各地域に即して、現地新聞など史料を博捜しつつ、彼らを各地での政治主体ととらえ、本国や在住外国に対してどのような要求をし、それが政治秩序にどのような影響を及ぼしたかを、「民族間政治」という観点から分析している。
その結果として、例えば次のような、実に多様で興味深い論点が引き出されている。
植民者にとっては、参政権・本国編入という要求は至極当然と思えるが、実際には否定的であった事例が指摘されている。それは、南樺太では、開発政策の特典を失う恐れから、ハワイにおける白人の場合は、多数派日系人への警戒からであった。
事実上日本支配下にあった満州国では、独自の国籍法が制定されなかった。それは、アメリカでの日系人二重国籍への非難にさらされていた日本の司法省の、対外政策の一貫性を維持するための判断によるものであった。また、移住先においても、「大和人」と沖縄人、朝鮮人などとの「植民地主義」的関係が維持されたことが指摘されている。
さらに、移民・植民に関わる歴史的論議として、条約改正問題をめぐる内地雑居論争と矢内原忠雄の植民論とを検討し、独自の見解を展開していることも含めて、本書は、「国民国家」日本という常識を相対化し、グローバル化時代におけるナショナリズムという現代的課題にも示唆するところ少なくない貴重な成果である。
なお、選考の過程では、「大和人」などの用語は適切なのか、本書の最後に明快な総括がほしかった、といった指摘もあったが、同時に、若い著者が広い国際的視野から、さらなる新研究を展開されることを期待する声が強かったことを付け加えたい。