角川源義賞

第43回 受賞のことば・選評公開
  • 2022.01.12更新
    第43回 受賞のことば・選評公開
角川源義賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第39回角川源義賞【文学研究部門】受賞
『日本古典書誌学論』(笠間書院刊)
佐々木孝浩
【受賞者略歴】
佐々木孝浩(ささき たかひろ)
1962年、山口県生まれ。90年、慶應義塾大学大学院博士課程中退。国文学研究資料館研究情報部助手、慶應義塾大学附属研究所斯道文庫助手・専任講師・准教授を経て、現在、教授。博士(学術)。著書に、『歌論歌学集成 第十巻』(共校注、三弥井書店、1999年)、『日本の書と紙―古筆手鑑『かたばみ帖』の世界―』(共編、三弥井書店、2012年)ほか。95年、第21回日本古典文学会賞受賞。

受賞のことば

佐々木孝浩

 慶應義塾大学附属研究所斯道文庫は、東洋の書誌学を専門とする希有な研究所です。日本古典籍を愛する者として、ここに所属できることはこの上ない幸福ですが、学生に書誌学を講じる際にはいつも、この学問が彼らにとって何の役に立つのかという疑問が頭を離れませんでした。それは書誌学とは何かという問いでもありました。答えは幾つもあるでしょうが、私がたどり着いたのは「書物の語学」という認識です。書物を人に喩えると、様々なことが腑に落ちます。他人を理解するには語り合う必要があります。書物との会話を可能にするのが書誌学だと考えるのです。それを教えてくれたのが「大島本源氏物語」でした。この本を通して、テキストを理解するには、それを保存する書物をも知る必要があることに気付きました。それから様々な古典籍と会話を繰り返し、彼らから教わったことを論文にしてきました。それをまとめたのが今回の受賞作です。「大島本」の影印を刊行された角川学芸出版ともゆかりのある賞をいただけたのは、和本達からのご褒美なのかもしれません。とはいえ、研究を続けてこられた幸運は、数え切れない方々から与えていただいたものであることを痛感しております。私は人にも恵まれました。感謝を忘れずに今後も精進を続けたいと思います。

選評

「書誌学の拓く文学研究の新たな展望」 原岡文子

 日本古典文学研究の閉塞状況が意識されるようになって既に久しい。こうした危機意識を踏まえ、その突破口として、とりわけ中古から中世の作品を射程に、「書誌学」と「文学研究」の統合によって、新たに拓かれる研究の壮大な展望を提示するのが、佐々木孝浩氏の『日本古典書誌学論』である。
 序論には、まず平安末から鎌倉期にかけて出揃った五種類の和本の装丁、「巻子装(かんすそう)」、「折本(おりほん)」、「粘葉装(でっちょうそう)」、「綴葉装(てつようそう)」、「袋綴(ふくろとじ)」について、その形態と歴史が明快に提示される。作品の器としての書物の形態、装丁は、やや特殊な二つを除き、最も格の高い「巻子装」から「綴葉装」、「袋綴」の順で実は明確な使い分け、ヒエラルキーを有するという。文字情報の器としての本の形態と、収められる作品の性格、内容との相関が、こうして鮮やかに示される時、客観的で手堅く完結する居ずまいの書誌学が、作品内容に共振するものとして新たに立ち上がることに驚きを覚えずにはいられない。
 勅撰和歌集の奏覧本は、だからこそ最も格の高い巻子装となることが、故実資料、写本の実態調査から論じられ、奏覧本本文のわけてもの価値の高さの蓋然性が浮かび上がる。あるいは巻子本に書写される和歌や漢詩文とは異なり、物語が原則的に冊子体だったこと、けれど『大鏡』等の歴史物語は巻子装ともなり得たことなど、往時のジャンル、その格付けと装丁との相関の指摘は多岐にわたる。また従来『源氏物語』本文の最善本とされてきた大島本の再検討は、袋綴の写本の、綴穴、蔵書印の有無、という形への着目に発し、これを新旧二つのグループから成る取り合わせ本と結論づけるもので、投じられた一石の衝撃には小さからぬものがある。大島本に客観的で着実な再検証が今後さらに求められることは疑いあるまい。極めて具体的な器の形を手がかりに、豊かな経験と該博な知識に基づき多様なジャンルを縦横に論じる本書は、幅広い読者に上質な推理小説にも似た愉楽をもたらす。書誌学との出会いに導かれる読みの更新がさらに待望されよう。


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