角川源義賞

第43回 受賞のことば・選評公開
  • 2022.01.12更新
    第43回 受賞のことば・選評公開
角川源義賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第41回角川源義賞【歴史研究部門】受賞
『日本近世書物文化史の研究』(岩波書店刊)
横田冬彦
【受賞者略歴】
横田冬彦(よこた ふゆひこ)
1953年、京都市に生まれる。81年、京都大学大学院博士課程修了。京都大学博士(文学)。神戸大学、京都橘大学、京都大学を経て、現在、京都大学名誉教授。著書に、『日本の歴史16 天下泰平』(講談社、2002年)、『読書と読者』『出版と流通』(編著/シリーズ本の文化史1・4、平凡社、15・17年)など。『日本近世書物文化史の研究』は、本賞のほか、第40回日本出版学会賞・第17回徳川賞を受賞。

受賞のことば

横田冬彦

 これまでの書物文化の研究は、書物の内容の研究であり、それを著した作家や思想家の研究でした。なぜなら、読者の思想は作者の思想の二番煎じであり、その時代の最も優れた思想家や作家のことがわかれば、一般読者のことは改めて考える必要がないと思われていたからです。
 しかし、読者もまた独自な思索主体ではないか。書物を読み、自分の経験知をそれと対比することで、そこに自分の考えを表現する言葉や論理を見つけ、より普遍的なものへと思索を深める。たとえば元禄時代に日本ではじめて出版された農書『農業全書』は、農民が読者になったことを象徴的に示すとともに、彼らがこれを基準に父祖から伝わった農法の一般性と特殊性を考えることで、今度は各地域に根ざした新しい農書が全国的に生まれてくる、読者が次の作者になるという、知の新しい循環構造が始まったことを示しています。読者という側から考えると、日本文化史に今までとは違う展開や画期が見えてくるというのが本書の主張です。
 この受賞を大きな励みとして研究を進める決意とともに、角川文化振興財団および私の研究を支えて下さった多くの方々への感謝と御礼を申し述べて、私の挨拶とさせていただきます。

選評

「近世読者の発見から近世の社会思想を照射」藤井讓治

 受賞作『日本近世書物文化史の研究』は、横田冬彦氏がここ二十年あまり取り組んでこられた近世書物をめぐる研究を集大成したものである。
 本書は、序章と三部十一章からなる。序章では読者という視点から研究史をまとめ、近世読者の成立、思想的営為の主体としての読者、支配の仕組みのなかでの読者、近世読書熱の契機を課題としてあげる。第一部で「読者と蔵書形成」を大坂周辺とともに地方の筑前・甲斐で明らかにし、第二部「書物と読書」では、『徒然草』を素材に近世読者の実態を、また読書によって思索する読者を浮かび上がらせ、軍書・節用集・農書などを通して読者の歴史意識の形成と、書物を通じての文化的関係が構造化していくことを指摘する。第三部は、第一部・第二部での分析を踏まえて、近世社会のなかに書物文化を、一つには医療分野から、二つには作者・書肆と読者を一体として捉えることで、論じている。
 分析にあたっては、新たに発掘した史料、また従来知られていた史料を、丁寧に読み込み、地域や社会的地位の異なる多様な史料と比較検討することで、従来の評価・事実認定を批判また訂正し、新たな論点を提起する。
 従来の近世書物文化史の研究が、作者・著作・出版を主な対象としてきたのに対し、本書は、書物の読者に焦点を当て、蔵書とともに読書のあり方を取り上げ、また読書の内実を通俗道徳・家訓書、軍書・農書・医書の各分野で、地理的広がりを河内・摂津・筑前・甲斐で、また村落上層から郷土・牢人、藩儒、都市知識人など多様な階層を取り上げ、これら三者を縦横に絡ませることで課題にせまり、さらにこれまでの研究が取り上げてきた作者や書物の問題を読者の問題に組み込み、それを通して書物の社会的なありかたを具体的に述べ、この時期の書物文化を豊かに描き出している。
 このように、本書は、書名にある書物文化史の枠にとどまらず、近世文化史、さらに社会思想史の成果としても高く評価すべきものである。


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