田渕句美子
本書は、宮廷女房たちの職掌や意識を基底におき、彼女たちが残した和歌、日記、物語などを、一つの地平と流れの中で捉え直したいと考える中から生まれてきたものです。
宮廷女房文学は、世界でも稀に古くから長く広く集団的に続き、他に類をみない女性文学史です。『新古今集』の研究(主に男性歌人)をやっていた私が、女房文学全体を考え始めたのは、一九九八年の「女性と和歌」という短いエッセイで、「制度としての和歌には、ジェンダーに由来する特異性や限界性が多くあったと想像される。……以上のような側面からも和歌史を再考したいと考える」と思わず書いたことが端緒かもしれません。関心は日記、物語にも広がり、思いもよらぬ広い方向へ導かれました。この小さな芽を研究に育ててくれたのは、文学・歴史学の領域を超えた研究交流と、研究仲間からの大いなる刺激でした。
人文学の研究は新たな発見をめざす胸躍る冒険であり、数百年、千年も前に生きた人々の声を聞き、心を重ね、共感し合う喜びがあります。またこの研究に興味を抱いて読んでくださる方々、過去・未来の人々とも繫がり合うことができます。これ以上の幸福があるでしょうか。それを改めて教えて下さったこのたびの賞に、深く感謝いたします。
「「女房文学史」構築の新たな試み」 原岡文子
十から十一世紀という古い時代に宮廷女房たちによって、特に『源氏物語』をはじめとする散文文学の実りがもたらされたのは、世界に類を見ない現象である。例えば英国の女性作家ジェーン・オースティンの活躍は、十九世紀初頭以降のことだった。本書は、こうした「日本文学の大きな核」と見做される固有の文化現象をめぐり、ある職業的な役割を帯びた女性、即ち女房たちの感覚、意識等に光を当て、和歌、物語、日記等の作者としての営みに迫り、その系譜、継続する総体としての「文学史」構築を目指す極めて骨太な試みである。額田王を濫觴(らんしょう)しようとする上代から、女房、皇女の日記が多出する近世まで、著者の示す女房文学史の射程は広いが、本書の取り組みは、王朝、中世が対象である。著者のこれまでの研究の中心だった中世和歌、日記等をめぐり手練れの方法で中世作品の犀利な読みを明快に伝える章は、作品作家研究の章の八割を占め、さらにそこから逆に遡って王朝作品を照らし返すことにより、思いよらぬ新たな相貌を見せはじめる王朝女房文学の姿を論じる章がまばゆい喚起力を湛える展開となる。「王朝から中世へ」という本書の副題は、おおよそ中世から王朝を照射することによって、時代を大きく跨いで立ち現れる女房文学史論構築の作業を意味しよう。
女房たちの「家」をめぐる意識の変遷、或いは「声」に関する女性の禁忌意識と女性判者・選者の乏しさとの連動の指摘など、大きく文化、制度との関わりの中で女房の位相を動的に検証する第一部を経て、二部以降の多岐にわたる作品論、伝記考証では、例えば俊成卿女をめぐる定家との微妙な距離感の指摘、従来の『無名草子』作者説否定など、緻密な実証が説得性に溢れる新見を導く。また『無名草子』を宮廷女房向けの教養書と見ることにも窺われるように、全体を貫く鍵語は、女房たる者の教育、教訓である。例えば竄入(ざんにゅう)説など諸説入り乱れていた『紫式部日記』消息文について、本書は、阿仏尼の娘宛の「女房としての職業上の心得」の書、『阿仏の文』との詳細な表現の比較検討を試み、導かれた類似性から消息文を、紫式部の、娘賢子宛ての教訓の手紙と読み解く。中世作品からの逆照射が、作品の内部の読みに偏りがちだった従来の読みを、新たに外側に拓く可能性を喚起する成果を、「女房文学史」という壮大な枠組みの新たな提示と共に、大きな衝撃と受け止めたい。本書は今後の新たな課題の在処を私どもに拓く豊かな可能性に満ちている。