阪口弘之
私は近世演劇が、それまでの語り物世界をどう受け止め、都市芸能としての様式と相貌を整えてきたかという点に関心をもって研究を続けてきました。
街道筋を東へ西へと語り広められてきた中世来の語り物は、しかし湮滅(いんめつ)を宿命とする芸能でした。他方、芝居小屋の誕生とともに発展を見せた近世演劇は、印刷文化の拡がりの中、上演現場に止まらず、読み物としても反芻され、一挙に時空的な拡がりを見せます。興行主や書肆らが芸能の場と深く関わり、時にはその現場を先導することもあり、芸能のありようは一変しました。その際、たとえば語り本文の受け渡しはどうなされたのか、本書は、その事情の総合的な尋究を試みたものです。時代を近世から逆に顧みれば、「果たして近松は平家を超えたか」といったテーマを追いかけることでありました。しかし、浄瑠璃にせよ説経にせよ、その本文は語り物時代と、それが芝居世界に取り込まれた慶長時代との間には大きな断絶があります。この見通しを得てこそ、従前の文学史、芸能史への重要な増幅追補はなるはずです。このたび幸運にも栄えある賞にあずかり、芸能史研究に残された右の最大の課題に今少し立ち向かいたいとの思いを新たにしています。
「「街道」と「都市」の初めての芸能通史」 長島弘明
義太夫・近松以前の古浄瑠璃や説経については、早くに「古浄瑠璃正本集」「説経正本集」の優れた翻刻が出たものの、研究そのものはやや立ち後れていた。そのため、中世・近世の芸能史を一貫して記述することができなかったが、本書の出現によって、古浄瑠璃・説経研究史の空白が埋められ、初めて中世・近世の語り物通史が可能となった。
本書は「街道の語り物」と題する上巻と、「近世都市芝居事情」と題する下巻から成り、論点はきわめて多岐にわたる。上巻では、「街道」というキーワードが示唆する、空間移動が重要な切り口となっている。勿論、単なる作品伝播論ではなく、古浄瑠璃や説経がそもそも本質的に「街道を行く」物語であることを論証し、各地の在地伝承を取り込んで説経が生成する過程を動的に記述したり、古浄瑠璃と説経の交流や、浄瑠璃太夫間での古浄瑠璃作品の流用の実態を、東海道を往来した太夫を例に詳述したりして、研究に新生面を切り拓いている。また、説経・古浄瑠璃と幸若・謡曲・絵巻等との交渉を具体的に示し、寛永・正保期の古浄瑠璃正本の成立は出版書肆主導であり、舞の本から古浄瑠璃に取りこまれた本文は口承ではなく書承だという、注目すべき新説も提示されている。
下巻では、都市芸能として自己確立してゆく近世初・前期の演劇の実情を、三都を中心に、また古浄瑠璃各派の動向を中心に、時間軸にゆるやかに沿う形で詳述する。東西劇界の交流実態の解明、また竹本義太夫らの道頓堀の興業戦略の指摘も、きわめて示唆に富んでいる。上巻でも言及されていた古浄瑠璃・説経と出版の関係は、下巻では一層多角的に検討され、東西の書肆の交渉、奥浄瑠璃と江戸版との関係、軍記読物浄瑠璃の成立、古浄瑠璃段物集・説経段物集の刊行など、本書が新しく提起した課題は枚挙にいとまがない。
新資料を発掘し、厳密な書誌学的・文献学的検討を経て、それが文学史・芸能史を新たに書き換えていく事例を、本書では随所に見ることができる。「街道」で生まれ、「都市」で成長し成熟した芸能の歴史を、初めて一貫して描き切った本書の意義ははかりしれない。