角川源義賞

第43回 受賞のことば・選評公開
  • 2022.01.12更新
    第43回 受賞のことば・選評公開
角川源義賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第43回角川源義賞【歴史研究部門】受賞
『海外引揚の研究──忘却された「大日本帝国」』(岩波書店刊)
加藤聖文
【受賞者略歴】
加藤聖文(かとう きよふみ)
1966年、愛知県生まれ。2001年、早稲田大学大学院文学研究科史学(日本史)専攻博士後期課程修了。国立史料館助手を経て、現在、人間文化研究機構国文学研究資料館准教授。著書に、『満鉄全史』(講談社メチエ、2006年:講談社学術文庫、2019年)、『「大日本帝国」崩壊』(中公新書、2009年)、『国民国家と戦争』(角川選書、2017年)、『満蒙開拓団』(岩波全書、2017年)など 。

受賞のことば

加藤聖文

 私が海外引揚を研究テーマとして取り組む契機となった戦後50年は、まだ社会では海外引揚の記憶も生々しく、歴史学の対象と見なされていませんでした。道標となる先行研究はなく、一次史料の所在もほとんどわかっていませんでした。しかも、対象となる地域が日本列島を超えて広大で、米ソ中の思惑が絡む海外引揚は、国際政治の視点が不可欠でした。手探りで研究を始めましたが、国内に止まらず、アメリカ、ロシア、中国、台湾など世界各地で史料調査を行ったことで、世界史との繋がりをつねに意識するようになりました。
 百年経たなければ歴史ではないといわれますが、本書は現在進行形の課題を扱っていることに加えて、一国史を超えた東アジア史を意識した日本史の新しい可能性を模索した成果でもありました。本賞の受賞は、私が目指した日本史を超えた日本史が日本史学に評価していただけたものと思うと喜びも一入です。
 本賞の選考基準は、受賞を機に「研究上の更なる進展が期待される」こととされています。これからはこの賞の名に恥じぬよう、海外引揚研究を深化させ、日本史の世界史的な可能性を示すことで期待に応えていきたいと思います。

選評

「世界史上の出来事を二重の忘却から甦えらせる──加藤聖文『海外引揚の研究』」 三谷 博

 大日本帝国が崩壊してから既に七六年が経つ。いま、その時代を直接記憶している人はどれほど残っているだろうか。帝国が崩壊したとき、軍人のほか、民間人約三二〇万人が外地から日本列島に引揚げ、その過程で約二八万余りが命を失った。この民族の大移動、そして沖縄・広島・長崎を上回る犠牲もまた忘れられて久しい。本書はこの日本史上で二重に忘却されている大変動の全体像を、史料の地道な探索と内包する意味への周到な目配りを通じて明らかとした。
 本書はまず、敗戦時の日本政府と連合軍の政策を概観し、当初いずれも在外日本人を土着させる方針をとり、現地でも、満洲や台湾のように、土着を望む居留民が多数だったことを示す。今の日本人には驚愕の事実だろう。
 海外からの引揚げのうち、本書が取り上げる地域には南洋や東南アジアは含まれない。それでも範囲は東北アジアの全域、満洲、旧関東州、南樺太、朝鮮、台湾、そして中国本土に及ぶ。各地それぞれにつき、日本敗戦時の状況、居留人口、支配・管理に当たった国家・政府、日本人団体の結成・関与、送還の実態、引揚げ過程での犠牲、現地政府による留用、引揚げ後の生活支援・在外資産への補償、引揚者による記念・追悼、その戦後政治との関係などを、丹念に記述している。
 著者は、引揚げ当事者による生々しい回想群とは距離をとり、かつ彼らがなぜ外地にいたのかを意識しつつ冷静に事実を記すが、各所に意味解読の手掛りを与えている。満洲居住者が多大な犠牲を払った反面、台湾・中国本土居住者はほぼ全員が帰還できた。蒋介石の「以徳報怨」の背後に何があったのか。また、北朝鮮居住者が自力脱出を強いられた際の文化人類学者泉靖一らの奔走、また引揚げ過程で生じた性被害者への救護の模様。これらには胸を打つものがある。
 本書は終章で、第二次世界大戦の終結時、ユーラシア大陸の反対側で起きたドイツ人らの追放との比較を行っている。日本人の引揚げを忘却の淵から救い出し、鎮魂の業に当るだけでなく、後の世代と世界に、植民地化と侵略がどんな結末をもたらしたのか、世界の舞台の上で考える手掛りを与えているのである。今後長く読み継がれるべき重要な業績である。


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