中村 哲
城山三郎の名にちなむ、今回の受賞は光栄です。
思えば一九八四年から三十年間、現地にいる羽目となりましたが、大きな転機は二○○○年に顕在化した大旱魃でした。当時アフガニスタンでは、一○○万人が餓死線上と伝えられましたが、空腹と渇きに、医療は余りに無力でした。十分な飲み水と食べ物さえあれば、多くの病人が死なずに済んだのです。私たちは、飲料水源の確保と共に、「緑の大地計画」を打ち出し、アフガン農民が生きるため、用水路や取水設備の整備に力を尽くしてきました。
そして今、旱魃は収まらず、混乱を残して外国軍が引揚げています。この間、いろんなことが内外でありました。「9・11」、アフガン空爆、内戦、中東の混乱、金融破綻、東日本大震災―破局への不安と戸惑い、暴力の応酬が支配する世界の中で、私たちの軌跡が一縷の希望を与えるなら、この事業を支え続けた日本・アフガンの良心、民族や宗教を超えた人間らしい願いが、きっと城山さんのお眼鏡にかなったのでしょう。これを励みに、更に力を尽くしたいと思います。
どうもありがとうございました。
二〇一四年一〇月 ジャララバードにて
「城山三郎さんの遺志を継ぐために」 魚住 昭
城山三郎さんは、逆境と戦う人間を描いた作家である。戦いの中で凛と光る人間の個性と、それを深く愛おしむ作者の眼差しが交錯したところに作品の命が宿った。
この賞はその城山さんの遺志を受け継ぐため創設されたものだ。受賞作に求められるのは筆者の志の高さと眼差しの深さだろう。選考に入る前はそんな優れた作品があるだろうかと心配したが、堀川惠子さんの『教誨師』と中村哲さんの『天、共に在り』を読んで安堵した。
『教誨師』は戦後、半世紀にわたり死刑囚と向き合ってきた浄土真宗の僧侶に対する長期取材をもとに書かれたものである。死刑執行に立ち会う苛酷な任務に身を削ってきた僧侶が亡くなる直前、知られざる死刑の実態と、自らの懊悩をさらけ出す。その言葉を積み重ねながら、筆者は原爆の犠牲者でもあった僧侶の人生を描きだし、死刑制度の矛盾を浮き彫りにしていく。
取材力と筆力。それに親鸞の悪人正機説を媒介に、生と死の根源的問題に遡って死刑を捉えようとする姿勢に感嘆した。人の心を鷲摑みにする作品だった。
一方『天、共に在り』は稀有な魂の物語である。一人の医師が旱魃と戦火で荒れたアフガニスタンに一六○○の井戸を掘り、二五キロの用水路を拓いて緑の集落を再生させた。なぜそんなことができたのか。本書を読んで納得した。不可能を可能にしたのは諦めを知らぬ強靭な精神だ。その根底には「天、共に在り」という揺るぎない信念と「美醜・善悪・好き嫌いの彼岸にある本源的な人との関係」を見つめる眼差しがあった。
用水路の総工費一四億円がペシャワール会(本部・福岡)への寄金で賄われたという事実にも驚いた。そのうえ福岡の伝統的治水技術が用水路建設に応用され、死の砂漠が緑の大地に変わっていくさまは奇跡としか言いようがない。「現地三十年の体験を通して言えることは、私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということです」という筆者の言葉は万人の胸に響くだろう。
『教誨師』も『天、共に在り』も一人でも多くの人に読んでもらいたい作品だ。今回の受賞がそのきっかけになればうれしい。(了)