城山三郎賞

第8回 受賞のことば・選評公開
  • 2022.01.12更新
    第8回 受賞のことば・選評公開
城山三郎賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第1回城山三郎賞受賞
『教誨師』(講談社刊)
堀川惠子
【受賞者略歴】
堀川惠子(ほりかわ けいこ)
1969年広島県生まれ。民放記者を経て、2005年からフリー。テレビドキュメンタリーやノンフィクション作品を手がける。主な著書に、『死刑の基準──「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社、2009年/第32回講談社ノンフィクション賞)、『裁かれた命―死刑囚から届いた手紙』(講談社、2011年/第10回新潮ドキュメント賞)、『永山則夫 封印された鑑定記録』(岩波書店、2013年/第4回いける本大賞)など。東京在住。

受賞のことば

堀川惠子

 私がまだ地方局の記者だった二〇〇一年、個人情報保護法案に反対する人たちの会見を見て、驚いた。そこに、作家・城山三郎氏の姿があったからだ。「言論の自由は、生きることと同じくらい大切」「権力は醜いことを隠すため、まずはこの法律を通そうとしている」。当時の発言には危機感が滲んでいた。
 あれから十三年。個人を守るためという題目は、いつしか政府の機密を守るためとなり、昨年末には特定秘密保護法が成立した。
 『教誨師』の出版には、守秘義務を巡る多くの問題が立ちはだかった。誰のための、何のための秘密なのか。書き手は、なぜそれを世に出すのか。秘密のあり様の根源に正面から向き合い、覚悟を問われる日々でもあった。城山三郎氏の言葉を、改めてかみしめた。
 半世紀にわたり教誨師を勤めた渡邉普相氏は「自分の死後に世に出して」と念を押し、命をかけて語ってくれた。その事々が今、多くの人たちに受け止められていることが嬉しい。『落日燃ゆ』に登場する教誨師とも面識があり、城山作品については饒舌だった。今回の受賞を、遥か天上で、誰よりも喜んでくれているに違いない。

選評

「城山三郎さんの遺志を継ぐために」 魚住 昭

 城山三郎さんは、逆境と戦う人間を描いた作家である。戦いの中で凛と光る人間の個性と、それを深く愛おしむ作者の眼差しが交錯したところに作品の命が宿った。
 この賞はその城山さんの遺志を受け継ぐため創設されたものだ。受賞作に求められるのは筆者の志の高さと眼差しの深さだろう。選考に入る前はそんな優れた作品があるだろうかと心配したが、堀川惠子さんの『教誨師』と中村哲さんの『天、共に在り』を読んで安堵した。
 『教誨師』は戦後、半世紀にわたり死刑囚と向き合ってきた浄土真宗の僧侶に対する長期取材をもとに書かれたものである。死刑執行に立ち会う苛酷な任務に身を削ってきた僧侶が亡くなる直前、知られざる死刑の実態と、自らの懊悩をさらけ出す。その言葉を積み重ねながら、筆者は原爆の犠牲者でもあった僧侶の人生を描きだし、死刑制度の矛盾を浮き彫りにしていく。
 取材力と筆力。それに親鸞の悪人正機説を媒介に、生と死の根源的問題に遡って死刑を捉えようとする姿勢に感嘆した。人の心を鷲摑みにする作品だった。
 一方『天、共に在り』は稀有な魂の物語である。一人の医師が旱魃と戦火で荒れたアフガニスタンに一六○○の井戸を掘り、二五キロの用水路を拓いて緑の集落を再生させた。なぜそんなことができたのか。本書を読んで納得した。不可能を可能にしたのは諦めを知らぬ強靭な精神だ。その根底には「天、共に在り」という揺るぎない信念と「美醜・善悪・好き嫌いの彼岸にある本源的な人との関係」を見つめる眼差しがあった。
 用水路の総工費一四億円がペシャワール会(本部・福岡)への寄金で賄われたという事実にも驚いた。そのうえ福岡の伝統的治水技術が用水路建設に応用され、死の砂漠が緑の大地に変わっていくさまは奇跡としか言いようがない。「現地三十年の体験を通して言えることは、私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということです」という筆者の言葉は万人の胸に響くだろう。
 『教誨師』も『天、共に在り』も一人でも多くの人に読んでもらいたい作品だ。今回の受賞がそのきっかけになればうれしい。(了)


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