城山三郎賞

第8回 受賞のことば・選評公開
  • 2022.01.12更新
    第8回 受賞のことば・選評公開
城山三郎賞とは 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第3回城山三郎賞受賞
『増補版 1★9★3★7(イクミナ)』(河出書房新社刊)
辺見 庸
【受賞者略歴】
辺見 庸(へんみ よう)
1944年宮城県石巻市生まれ。70年共同通信社入社。北京特派員、ハノイ支局長、外信部次長などを経て、96年退社。78年中国報道で日本新聞協会賞、87年中国から国外退去処分を受ける。91年『自動起床装置』で芥川賞、94年『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞、詩文集『生首』で中原中也賞、詩集『眼の海』で高見順賞を受賞。他著に『赤い橋の下のぬるい水』『永遠の不服従のために』『私とマリオ・ジャコメッリ──〈生〉と〈死〉のあわいを見つめて』『青い花』『霧の犬』など多数。

受賞のことば

辺見 庸

 大別して三つのしゅるいのことがある。やりたいこととやりたくないこと。そして、やらなければならないことである。本作は、わたしにとって、やらなければならないこと、そして、死ぬまでにやっておかないとどうにも示しがつかない、面目がたたない……ことであった。では、いまの気分はどうか? 示しがつき、面目がたったのか。すっきりとしているか。否(ノン)! 宏漠たる砂漠を苦労してここまであるいてきたものの、気がつけば、まだ砂原の入り口も脱していないのであった。なんということだろう。つまり、本作をやっとのことで終えたとおもったら、やらなければならないテーマの端っこがやっとかいまみえてきたていど、というしだい。情けない。だいいち、わたしはだれに示しがつかず、だれに面目がたたないとおもったのだろう。親にか、神様にか。否(ノン)! じぶんに、である。したためた当人がいちばんよく知っている。わたしは非力である。非力であった。気づくのがずいぶんおそかった。手おくれといえば、そうである。けれども、気づいてよかった。ついに気づきもせずに死んだら、それこそ示しがつかず面目がたたない。そのようなことを城山三郎さんはご存知であろう。むだな情熱でも、やらざるをえないことがあると。最後にひとこと。本作をひとりでも多くの若者が手にとりますように!

選評

「現在を過去と未来から問う」 片山善博

 第三回城山三郎賞は選考委員三人の合意により、辺見庸さんの『増補版 1★9★3★7(イクミナ)』及び北野慶さんの『亡国記』の二作とした。いずれを選ぶか、突っ込んだ議論をしたものの、敢えて一作に絞り込むことなく二作を受賞作とするのがふさわしいとの結論に達した。
『増補版 1★9★3★7』は、多くの日本人がほとんど知らされることのなかった過去、父祖の時代の歴史の闇に光を当てている。例えばNHK朝の連続テレビ小説でよく登場するのが、大陸の戦地に赴く若者を涙で見送るシーンである。残された家族は空襲で焼け出され、食料を求めて買い出しを余儀なくされるなど塗炭の苦しみを味わう。戦争が終わりやつれた姿で若者が帰ってきて、みんなで力を合せて生活を再建することになる。
 ここからは、戦争が日本人にいかに酷い犠牲を強いたか、そして平和がいかに尊いかを体感できる。ただ、この種のドラマでいつも語られないのが、ではこうした若者たちは戦地でいったいどんな生活を送り、何をしてきたかということである。本作品はそこに照準を合わせ、戦地を直接あるいは間接的に体験した人たちの「語り」を通じてあぶり出す。そこにはわれわれの知りたくないことがこれでもかというほどあらわにされる。でも、それを正視しなければ、同じ過ちを繰り返す可能性を拭えない。
 一方、『亡国記』は三・一一東京電力福島第一原子力発電所過酷事故を閲した日本の近未来に光を当てる。あれからまだ五年ほどしかたっていないし、まだその後始末もできていないというのに、まるであれはたいしたことではなかったかのように原発は動き始めている。あんな事故はもう二度と起こるはずがないとの慢心もはっきりと見える。それが日本や世界に何をもたらすか。一つの絶望的な道行きを示したのがこの作品である。
『増補版 1★9★3★7』は過去を振り返ることで現在を質し、『亡国記』は将来を占うことで現在に迫る。いずれもが現在の政治や社会のあり方、われわれ日本人の振る舞いや考え方を厳しく問う作品である。是非、多くの方に読んでいただくよう願っている。


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