生方たつゑ
秋から冬にかけて吹く野分のように、私の身辺はここいく年か心に沁みて痛い風がふきやむ日はなかった、といったら愚痴っぽくなろう。
だが愚痴は言わずに生きえたのは、頼りゆくべき位置が逆転して、私がたよられていることを知ったからであった。
野分はつめたくとも、私は顔をあげてあるいた。それだけで私はせい一杯であった。この間によみためた歌集、
『野分のやうに』が今回受賞したしらせを受けたとき、私はすでに頼っていてくれたものをさえうしなって、野分よりももっとさびしい 「ひとり」になっていることを思った。
喪ったものの心の空洞を埋めよ、というはげましの賞であるかもしれないとも思った。
昭和三十三年に第九回読売文学賞を受賞してから、二十余年間、私は賞となるものには無縁にすぎた。無縁でいいのかもしれぬ。
私は短歌をかくかたわら、古典や評伝など散文に傾斜しながら、その均衡がいささかくずれそうにさえなっていった。「短歌」の賞など私には、ほんとうはまぶしすぎる。
考えてみると、私は、あといく年生きられるか、余命ははかりがたいけれど、長くくないことは事実である。
山本健吉先生はじめ選考委員のかたがたが、あたたかい御はげましの意味をこめて、今回『野分のやうに』に賞をおあたえ下さったのであろう。
短くなった老いの日を、元気を出してうたいのこせよ、といって下さるこえが私にとどくような気がする。
かつて『白い風の中で』が読売文学賞を受賞した日、私はこれからが出発だ、ときおったことを記憶しているけれど、今回の迢空賞受賞は、なぜか皆さまのあたたかいいたわりに思えてならない。胸あつくいる私である。