斎藤 玄
一月二十二日以来、四度目の入院生活を送つている。四月八日夜、病院から帰宅した妻の電話で受賞を知り、自分の俳句に賞が与えられたことにまずびつくりした。
大体、賞を選ぶ場合、選ぶ側の人は作者の作品は勿論、人間についてもある程度知つていることが多いのではないか。知らない人が知らない人を選ぶとき、なにを拠りどころとするのだろう。結局、作品しかない、ということになるのだろうか。それにしても大変な冒険であるに違いない。それだけにはなはだ面映ゆく、選んでいただいたことに対してふかく感謝したい気持である。
今回の『雁道』では、純粋にナイーブに句作一途に専念できたことがよかつたと思う。大病ということもあつて、句集後半から作風に変化がある。『雁道』の由来については句集後書に記したので、その一節をここにうつしておきたい。
「『雁道』(かりみち)という集名は、雁の通る道という意で命名した。雁道は、雁が通る時にはそれと知られる。また雁が通らなくともそこに存在する。時には見え、時には消え、在つて無きがごとく、無くて在るがごとくである。これは今後の私の命の ありようと、俳境のありようを示唆しているような気がする。
この頃は俳句のおそろしさとむづかしさをひしひしと感じる。一日一日これに堪えて、生きる限り句作りを続ける宿命なのであろう。」
「感想」 森 澄雄
躊躇なく今年は斎藤玄氏の『雁道』を推した。玄氏のこれまでの来歴、はじめ三鬼に師事し、のち波郷に師事するなど、幾多の曲折をへつつ、しかもそうした一切をふくめて、『雁道』はこれまでの玄氏の句業のうち、至りついた最高の句集であろう。主宰誌「壺」にのつた幾多の『雁道』評の中、倉島敏氏の「非在の空間」という題が心に残つたが、重篤の病患の中、おのれのいのちを酷烈に見つめ、その酷烈をぬいて、いのちの「非在の空間」あるいは寂光を宿すに至つた、いわば近代の自我の至りついた一つの象徴のような句集であろう。
立ち入りてこの確かさの秋の風
睡りては人をはなるる霧の中
山をもて目を遮りぬ秋の暮
怠りて過ぐ十月の真澄かな
の絶唱をはじめとして、
今を欠くごとき綿蟲消えにけり
鯉食つて目のあそびゆく冬の山
雪鷗何のついでに思ひける
たましひの繭となるまで吹雪けり
冬の雁空では死なず山の数
癒ゆる日のために見ておく夏大空
雁のゐぬ空には雁の高貴かな
息の根をつかひ白桃すするなり
など、いのちの切々を宿して句品あくまでも高い。また、
遠き日の飴の花鳥に目がとどく
土筆生ふ麻酔の夢の滑稽な
患者食こんにやくつづく百千鳥
箒木に一樹のかたち秋隣
なんとなく鶏卵とがり百日紅
空事の紅もまじりて曼珠沙華
など、一抹の俳諧をやどして何気ない作品に、息づまるようなこの句集の中で、ほつと息をぬく思いもあつて、却つて心ひかれる思いもある。
芭蕉の晩年の一句、
この秋は何で年よる雲に鳥
に、ぼくは生の衰えとともに、何か放心のはなやぎのようなものを覚えるが、この放心のはなやぎが、近代の自我とどうかかわるか、この一集を読みながら、自らに問い返した問でもある。これは玄氏にとつてもこれからの問題であろう。いま玄氏は四回目の手術のため入院中ときく。切に加餐を祈りたい
「いのちの極み」 野澤節子
『雁道』は五十四年度の数多くの句集の中で、最も独自で、極立つた世界を持つた句集であつた。ことに後半に入つてからの一句一句の切迫感は、思わず読みつぎ終つて、ホッと息をついだ程である。集中、
何を見ても極(きわみ)に見ゆる雪迅し
という作品があるが、そのままがこの『雁道』の世界を形成している。いわばいのちの極に立たされたものの眼とかがやきである。
去るものばかりが見ゆる汗の中
ある筈もなき螢火の蚊張の中
これらは見えないものを見ている眼である。常に茫漠とした時空の中に浮遊している魂が、ときに鬼気迫り、ときに悠々となつかしく、あたたかく、ただよつているのを感じる。肉体の存在感というものを超えた存在感。その手ごたえが一句一句に在る。感銘した句をいくつかあげて評にかえたい。こうした句には言葉を使うとかえつて虚しくなるからである。
なにげなき餅草摘の身拵
言水の非在の影のこがらしす
青山を枯山にしてかいつぶり
大寒のたましひ光る猫通す
鯉守のやがてさびしき初桜
開腹手術を受く
劇痛は打水の穂を思ふなり
癒ゆる日のために見ておく夏大空
血の奥にうつせみという音すなり
炎天下歯ぢからという力失せ
初秋や山中は魚串刺した
一団の山の露にて鬼貫忌
息の根をつかひ白桃すするなり
雁の空の途方のおのづから
短日のえらび出されし前の山
昨年は道内大会でお元気なお姿に接している。ご入院中とお聞きしているが、一日も早く回復されんことをお祈りしている。
「悼斎藤玄氏」 沢木欣一
今、北海道の方から電話があり、斎藤玄氏の訃を知らされた。最近また入院されて、病状がかなり悪いということは知つていたが遂に駄目であつたかと溜息が出た。蛇笏賞受賞の報が入つたときに玄氏はベットで鳴咽されたそうである。本当によろこばれたのに違いない。それがせめてもの慰めで、御冥福を祈るばかりである。
玄氏との交りは浅い方である。一、二度お会いしたくらいであるが、親近感は長く感じていた。主宰の「壺」は戦後しばらく大変順調に出て、内容も充実しており威勢が良かつた。「風」を出て苦労していた頃なので、北海道から出して堂々とやつている「壺」をうらやましく思ったこともある。しかし「壺」はその後急に出なくなり、玄氏の存在も影が薄くなつていたが、ここ十年ぐらいで見事に俳句界に復活された。癌と闘つて何度も手術された氏の作品には消えようとする生命の灯が不思議な光を放つている。昨年初夏、俳人協会の北海道大会でお会いした時に達観されていたのか明朗な表情であつた。
句集『雁道』のなかから私の好きな句を挙げる。
みどりごをつつみに来るよかげろふは
はるかよりかすみ深浅ありにけり
よく見ゆる雀のかほや花卯木
声もたぬ涅槃の鯉と遊びけり
雪に日が来ればうつつと思ひけり
箒木に一樹のかたち秋隣
流燈を今見しことのはるかなる
氏はいろいろの試行錯誤の果てに、作品をここまで単純化し、煮詰めて、虚実の境に独特の自分の世界を描き出した。句集には言葉の空まわりした観念句も散見するが、ここに挙げた句など言葉かすかだが、寂光を確かに表現し得ている。