「誰にも分かるやさしい俳句」 瀧 春一
俳句をはじめて知ったのは 大正十三年、職場の句会に入会してからである。
「ホトトギス」を見せられて、俳句がこんなにも新鮮な美しい文学であったことに驚嘆した。大正十五年一月、水原秋櫻子の門に入り、今日まで休まず作り続けて来て、五十七年目に賞を受けた。ただただうれしさで胸がいっぱいである。
俳壇というか、俳句の世界にもいろいろ変遷があったが、俳句そのものは少しも変わらない。俳句を作る人の心がその俳句を読む人の心に素直に伝わる俳句、誰にも分かるやさしい俳句が本当だと思う。しかし、誰にも分かるやさしい俳句は決して易しくはない。下手をするとみんなつまらなく、平凡なものになってしまう。だが、平凡なように見えていて、味とかおもしろさが自然に出てくるのが、俳句本来の表現である。
俳壇に難しい俳句、分からない俳句が多くなったら、自分はいよいよ誰にでも分かるやさしい俳句を作ろう。そんな単純な気持ちで、この五、六年間に作り溜めたのが『花石榴』である。それが思いもかけず、 選考委員の方々に取り上げられ、蛇笏賞を頂いたことはまことにうれしく有り難いことである。
「風味絶妙」 飯田龍太
句集『花石榴』は、開巻冒頭に次の句。
炎天の老婆に無事を祝福され
作者は、明治三十四年生まれというから、当年満八一歳。だが、この作品の微笑(あるいは微苦笑)は、単なる年齢から生まれたものではあるまい。半世紀をこえる句歴の、おのずからなる所産。
さらに一集をひもとくと、
秋風やどこへも行かぬ顔を剃る
夕暮をたのしむといふ賀状かな
闘鶏師とてあばら家に棲みにけり
どくだみを踏めば怒りの香を発す
冬が好きといふ倖せの女達
などという作品が、なんの身控えもなく、随所に出てくる。娑婆もわが身をも、よほど欲をとり、膏(あぶら)をぬいて眺めないことには、見えてくる世界ではあるまいと思う。
しかも一方に、
昨日炎天今日霧雨の木槿垣
牛臭きからたち垣の冬の暮
晩春や見えしところに富士見えず
八月や時の流れもやや疲れ
この観照の確かさは、まこと筋金入り。俳諧の骨髄をねぶってたっぷり風霜にさらさぬことには出てこぬ風味にちがいない。
ともかく、 ちかごろ手にした句集のなかで、おもしろさは抜群。しかもこれが蛇笏賞に該当したとなると、ますますの妙味。
外野席に戻って、もう一度大きな拍手を送りたい。
「俳諧味」 沢木欣一
句集『花石榴』は最近珍しい句集である。このくらい俳句そのもののおもしろさ・楽しさを味わわせてくれる句集はめったにない。一句一句が、人生の哀歓に深く根ざし、さりげない表現をとりながら、底から自ずと俳譜味が滲み出ている。
瀧春一さんの句歴は六〇年に近く、俳壇の長老のひとりであるが、孜々として倦まず、この句集でゆるぎない句境を示されたことに改めて敬意を表したい。
み明しはみ仏のみに月見寺
唐招提寺の作。「み」音を重ねて、一句全体から蒼古たる気分をかもし出しているのは名人芸ともいうべきであろう。
茸莛繭臭しとも思ひけり
こういう句はまねのできない独自性がある。生活の具体的な隈々へやさしい眼が行きとどいている。
昨日炎天今日霧雨の木槿垣
敬老金もらひてひとりどぜう屋に
夕暮をたのしむといふ賀状かな
喜の字書きて人に贈りし秋扇
探梅の思ひに近所あるきけり
喰べる苺よりも真赤に蛇苺
父の日や老いの兆しを子にも見る
私の愛誦する作品のいくつかを挙げるが、春一俳句は嚙めば嚙むほど味の出る「するめ」というべきか。
「感想」 野澤節子
瀧春一氏の『花石榴』は、読後に何ともいえぬすがすがしさを残す句集である。
詩精神の高揚による緊張感とか、高い指標といったものより、むしろ、俗の中にあって悠々と俗を超えている心というべきものであろうか。ごくあたりまえの身辺から詠い出された句が、ごくあたりまえの言葉を使って気楽に表現されている。それでいて、ぴしりと作者の心を伝え、真実を見据えている。これは俳句の毒を身心ともに知りつくした俳人のみの至りつく世界であろう。芭蕉の言葉に「ふと言ひて宜しき句」というのがある。一句集をその宜しさで貫くことは見事なことだと思う。現代の俳句が忘れているものでもある。
茸莛繭臭しとも思ひけり
八月や刻の流れもやや疲れ
鈴虫や人に飼はれし声ならず
山茶花に夕日となりてまた射せり
手がふたつ小さくなりぬ雑煮椀
絶対に甘柿と言ふ苗木買ふ
閼伽そそぐ雨の洗ひてゐる墓に
梟の声の真上が月の道
〈八月や〉の句にことに感銘した。後記の《私は花だけの石榴であっていいと思う》という結語がいっそうすがすがしかった。
桂信子氏の『緑夜』も最後まで執着した句集であったことを書き添えたい。
「俳趣――独自の風味」 森 澄雄
「俳句で煮染めた顔」といったのは、多分師の水原秋櫻子氏であったが、さて、いま誰のことをさしていったのか、にわかに思い出せない。瀧氏もすでに傘寿を越え、その作品にしたたかな俳譜の骨格を据えながら、もはや、その「煮染めた顔」を脱けて、例の童顔に飄々の面持ちになっていられるのではなかろうか。たとえばこういう作品がある。
夏山やはたけに水を撒く器械
スプリンクラーのことであろう。どこかとぼけた飄逸を宿しておもしろいが、上五の「夏山や」がまたしたたか、野放図の闊達がおもしろい。
第一句集『萱』の後記にすでに《僕は静かに自然を鑑賞するよりも、人情の機徴によりよき美を感ずる方の人間である》とある。もともと、市井庶民の生活、あるいは人情の機微に思いを寄せて、その哀歓を詠う俳家。いってみれば、その自在に、いってみれば雑俳の、それもすぐれた風趣をたたえた作家であった。いまやその哀歓をそのままおいて、しかも酒脱に達観の境位に入られたおもむきがある。
前掛けに白鷹の銘大根引
書初や衰へならで枯れしと言ふ
八月や時の流れもやや疲れ
秋風やどこにも行かぬ顔を剃る
夕暮をたのしむといふ賀状かな
老鶯のホーホケキョーにケキョ足せり
立ちどまり背筋のばして暮の秋
俳諧のひろやかな涼風に接する思いがある。瀧氏のおのずから拓いた独自の境位であろう。受賞を喜ぶとともに、加餐を祈りたい。