武川忠一
『短歌』編集長の鈴木さんから、受賞の知らせをいただいたとき、思いがけないことであり、身に余ることと、心をひき緊める思いであった。たどたどしい、学生のころからの作歌であるが、とにかく、なまけながらも、あるときから、この詩型にかかわる怖ろしさのようなものと、だんだんに向き合うようになってきたようだ。伝統詩の厚さを嚙みしめるようになった。そうして、一方では、自分の中の、ありのままのものと向き合える、向き合おうとする世界を、この詩型にかかわることによって、からくも形にしてきたことを、改めて、いま自分にいい聞かせたいと思う。
実は、わたしの我ままから、「まひる野」を離れた。やり残している仕事をやりたいための決心だった。それが思いがけなく小雑誌をだすなりゆきになった。そういう折の受賞であることを、わたしは素直にありがたく思う。そうして学生のころから、お世話になっている窪田章一郎先生に、心からお礼を申し上げたい。
地味でもいい、丁寧に作歌していきたいと思う。
「『秋照』と『風水』」 上田三四二
第四歌集のこの『秋照』にきて武川氏は吹っ切れたと思う。語の運びがぴたりと決って、苦渋なく徹る声は内にかえってせっぱつまったものを伝えている。ここには恥の思いがあり、亡びの怖れがある。また都市の荒惨を歌い、跡なき生家と修羅ありし父母を歌う。歌集の輪郭はさして明確といえないかもしれないが、負の自覚、断念への意志の切実に一巻を貫いているのを評価したい。
たまさかに舞いくる雪の夕日かげ家跡にきて遊べ父母(ちちはは)
絶唱のごとく啼く鳥潮泡(しおなわ)に湧くかなしみのしづめがたきに
大西民子は心眼の人である。その鋭い感受性は単なる視覚をこえて物の内部を見てしまうおもむきで、ときには意味が際立ちすぎることもあるが、そのようにしてとらえる対象と心との危い関係の開示には及びがたいものがある。そして力まぬ平静な語気のなかに、生きる辛さが、関係の異和感となって刃のようにきらめく。『全歌集』の中に未刊歌集として納められたのは不本意だが、『風水』は前集『野分の章』をついで、さらに歌境が深められたと思う。
見慣れたる景色なれども感情の突起のごとし今日見る山は
亡き人のたれとも知れず夢に来て菊人形のごとく立ちゐき
「感想」 岡野弘彦
今年度の授賞候補歌集の中では、私は武川忠一氏の『秋照』を第一に推した。武川氏は自分が歌おうと思い定めた幾つかのテーマに焦点をしぼって、息長く歌いつづける作者である。そのテーマは、生まれ故郷の諏訪地方の風土と生活であり、先に死んでいった戦時の友への思いであり、今の世の市井の知的な生活者としての生活である。やや暗く低回しつつ、重いテーマを歌う武川氏の従来の歌風が、第四歌集の『秋照』においては、一段とたしかでくっきりとした表現を示してきている。重いものは重いなりに、詩としての昇化をとげた作者の意図がより明らかに感じられる。特に、生活の中の軽い心動きを歌って、自然に広がりのある人生に触れてくるといった作品が、今回の歌集に多く見られるところに心を引かれた。
大西民子氏の第七歌集『風水』については、この作者独自の感覚のとどいて充実した作品集であって、授賞歌集とすることに全く異存はない。ただ、この歌集は単行本として出ることなしに、いきなり『大西民子全歌集』の一部として収録されてしまっている。迢空賞は従来、当該年間に単行本として出た歌集の業績を、主たる選考対象として考えてきた。その点、やや異例であるが、昭和五十三年から五年間の作品、六二四首を収めた歌集『風水』に対して贈られるものである。共に充実期を迎えた両歌人の、今後の活躍に一層胸おどるものを感じる
「小感」 田谷 鋭
武川氏の作品が、近年緻密さを加えてきたことは別のところに述べたことがあるが、『秋照』一巻は、その近業を集大成した観があって甚だ興味ふかい。この集では前記の特質のほかに、空穂系の本質であるまどかな明るさや暢(のび)やかさも新しく加わっているようだ。
手にとれば指のぬくみの跡くもり白磁の壺に煙のごとし
置かれたるショベルカーのめぐり垂れにじみ油は路に黒くしみつく
前者は集中の絶唱と言ってよいであろう。級密さがそれだけに終らず、あらたな感覚世界を作り上げ読者を納得させる。こうした方向と共に、現実への深切な眼を感じさせる後者のような作品が混在することに私などは氏に対する一つの信頼を感ずるのである。
大西民子氏の『風水』は全歌集に含まれているが六百余首の重量ある作品集で氏の至り着いた世界をあざやかに示す。言い出しの自然さ、言葉を傷めぬ措辞のあり方と相まって、氏の特質である独自の浪漫心情が一首一首に息づいている。中で、
存在が即(そく)罪悪と畏れたる若き日ありき雪深かりき
かぐはしきブバリアの束花嫁の持つ花と言ひて供華に賜ひぬ
などは、前者の結句での飛躍、後者の同じく結句での屈折などが、積み重ねた営為の上にあらわれ始めたにがく重たい世界としてつよく印象された。武川氏と共にコンスタントな力の時来っての深まりが心をうつのである。
「二歌集の生の座標」 馬場あき子
武川忠一氏は第一歌集『氷湖』において、「ゆずらざるわが狭量を吹きてゆく氷湖の風は雪巻き上げて」とうたっているが、そこに自負された「狭量」は一貫して今日まで、きびしい純一な詩精神の追求とともにあった。『秋照』はその武川氏の一つの到達を示す歌集であると考える。「歌はいまへの収斂の詩である」とは氏の今日の主張であるが、また集中には「亡き者ら年ごとに清らになりゆくを茫々としてかなしみており」というような死者への挽歌も多くある。それは友とか肉親というような特定の死者の貌を少し超えた感銘のまつわるもので、その挽歌的詠嘆にこもるものは、学徒出陣の暗い青春を今日に引きずりながらうたおうとする作歌姿勢と重なるものであろう。氏によって意識されている死者へのかえりみは、今日の生の座標を思わしめつつ、喚起力のつよい詩性を生んでいるといえる。
また大西民子氏の『風水』は、大切な人々との永訣のあとに、文字どおり天涯孤独の場におかれた氏が、自らの生の位置をみつめなおし、そこに作品の場を重ねることによって独自な境地を拓いた歌集である。「綿菅のみのりのときに来会ひたりしろじろと風の渡らひゆけり」というような歌も、今の氏の心境的な景としての表現を含んでいると思われる。