岡井 隆
迢空賞内定の電話は、夕めしを食っているときに受けた。電話器は、3LDKのKの片すみのくらがりに置いてあるのだが、ーわたしは、黒光りしている電話器を見下しながら、めぐりあわせだなあ、これは。そう思った。受賞は、まず、あるまいと思っていただけに、よろこびも強かったのである。夕めしの味が一気にわからなくなってしまった。
大体のところ、無定見で、手あたり次第の感じで歌は作って来たのだが、近年は、また一そう、波まかせ風まかせ人まかせで、流れるように作って来ている。だから、歌作りの機縁を与えて下さった多くの人たち| 編集者、批評家、友人たち、とくにわたしより若い世代の友人たちに感謝を捧げる。「人生の視える場所」の連載がなければ、『禁忌と好色』の成立もなかったであろう。めぐりあわせだなあというのは、この三年間の作歌の源泉の位置に、父の死があったのを思うからでもあった。
今年1月から「未来」の編集責任者となったが、亡くなられた木俣修さんのあとを継いで、最近ある新聞の選歌をやることになり、あわただしさを加えていた。また、沼空賞のお知らせをいただいて、旬日を出ないうちに、かつての同志寺山修司君の死に遭った。
この春、運命は、幾重にもなってやって来た。
「感想」 上田三四二
『人生の視える場所』と『禁忌と好色』|同じ年に出、制作年代も重なり合うこの一二冊の優劣を言うことにさして意味があるとは思えないが、一つに絞るとすれば、『禁忌と好色』になるだろう。これはあるいは少数意見かもしれない。そう思って会に出たが、案に相違して少数意見にはならなかった。そして私は、二冊のあいだの微妙なちがいを、年期の入った人たちはそれぞれの流儀によって、やはり間違いなく感知していることに一種の感動を覚えた。
ちがいといってもわずかなものである。私はその ちがいを、私流に、後者は前者より感情に直接する部分をより多く持つ、と言おう。
またふかく夜に刺さりてわが生はくらきみどりの葉ずれに満ちて
乳房のあひだの谷とたれかいふ奈落もはるの香にみちながら
私的な背景がわかれば解けるような謎は まだ謎ではない。 コード化された私的な言葉ではなく、この二首のような、いわば人間という存在の謎にむかう深々とした言葉を、私はたっとぶ。
「選評」 岡野弘彦
岡井隆が昨年出版した二冊の歌集のうち、『人生の視之る場所』は、雑誌『短歌』に一年間連載した作品を主としたもので、連載中から、人々の注目を集めた。詞書きに新しい工夫を加えて、連作の表現により多様な変化と内容を与えようとした試みが、新しい刺激として感じられた。だが、詞書きに工夫があればあるほど、一首一首の短歌の凝縮が散漫に感じられるという矛盾があって、岡井の新しい企ては、まだ十分に成果を示しているとは言えなかった。
それに続く『禁忌と好色』になると、詞書きは節制され、しかも、『人生の視える場所』の体験を通った のちの連作の表現は、一首一首の密度を深めながら、連作としての叙事性を新鮮な多様さで示し得ている。
従来から岡井隆の作歌は、果敢な試みの中に自分をさらし、激しい時代状況と葛藤して歌を詠むところに特色があった。『禁忌と好色』は、時代が鎮静し、沈滞している中で、自己の周辺や内部に向って、より篤く心を注いで歌おうとする変化を見せていると言えよう。言葉の衰弱の季節における試みと充実は、今年の沼空賞にふさわしい歌集であると思う。
「軽みと抽象」 田谷 銳
『禁忌と好色』の八十八ページに「文法にすこしこだはる今夜かな『ハ』といふ助詞は『ガ』を超えて摺ぶ」がある。前書きに「大野晋という人の本ひろげたる。」と記されてある。この一首は作者の来し方、現在、の短歌周辺への篤実な迫り方を暗示的に語っている。構えなどというものの始めからない場所で、眼を広く放ち、興味と共に飽くなき探求の手を伸ばす人の姿がここに見られる。
またふかく夜に刺さりてわが生はくらきみどりの葉ずれに満ちて
という作品もある。前掲の「文法に」の作のロ語脈と一種の〈軽み〉に満ちた発想と共に、この抽象世界は作者の発明にかかわると言えよう。そしてその両者の組み合せになる世界が『禁忌と好色』一冊だと言えば、そこにもろもろの試みをこめた作者は不満の言葉を発するかも知れない。作者の試行のみなもとがどこにあるかに関わらず、私は作品の一層の完結性を今後に期待したい。
「現代短歌に加えたもの」 馬場あき子
岡井隆氏は近年詞書を附した歌を多く発表して問題を提起した。詞書は歌を一定の〈場〉に繋ぎとめるとともに、一首の意味合いに振幅を加え、時には短篇的な世界をも内包する効用をもっているが、岡井氏の詞書の試みはもう一つちがった有効の分野を拓いている。詞と歌とが対立し、葛藤しつつ一世界として存立する。『人生の視える場所』と題された実験歌集にはそうしたおもしろさがあった。
私はこの、散文的な思想の濃い定形連作に魅力を感じていたが、再読するうち、むしろそうした実験的にぎわしさの少しおさまった『禁忌と好色』の方に、今までの変化の早い渦流をくぐりぬけたところの岡井氏の特質は、より自在に結晶の美をみせているのではないかと思った。氏はこの歌集を一区切として「なにもしない」時間、つまり、『真に創造的な時間をふやして行くつもり」であると後註している。氏が今日まで現代短歌に加えてきた斬新の要素と広範な影響力については今さらいうまでもない ことだ、なお、その強靭な創造的姿勢に信頼をおきたい。