蛇笏賞・迢空賞

第57回「蛇笏賞」・「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.24更新
    第57回「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.14更新
    第57回「蛇笏賞」受賞作発表
蛇笏賞・迢空賞とは 設立のことば 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第17回蛇笏賞受賞
『月の笛』(永田書房刊)
柴田白葉女
【受賞者略歴】
柴田白葉女(しばた はくようじょ)
明治39年神戸に生まる。本名初子。生まれるとすぐ東京に移り小石川に住む。大正11年仙台に移り住む。昭和6年東北大学文学部国文科を卒業。教師生活を経て結婚し終戦後、夫の郷里千薬に引き揚げ、市川に永住することになる。今年2月夫を失う。大正末年より父白嶺とともに飯田蛇紡に師事し「雲母」に拠る。昭和37年5月「俳句女図」創刊。句集『冬棒』『遠い橋』『岬の日』『夕浪』『冬泉』『朝の木』。随筆集『女流の俳句』『ともしび』。

受賞のことば

「ひとすじのみち」柴田白葉女

 いつも遠い憧れとして望んでいたわが師の名を冠した蛇笏賞。通知をうけたとき、ただうろうろして涙があふれてきた。選考の先生方、推薦してくださった多くの方々に一人一人感謝してまわりたい気持ちである。
 考えてみると他力本願で俳人白葉女が形づくられたと思われてならない。亡父白嶺は飯田蛇笏先生を心底より尊敬し「この娘を一人前の女流に育てていただきたい」と懇願したが、そのときから白葉女の修練がはじまったのである。誠実で温かい先生は「ひきうけました」と父に約されてからは、いつもきびしく私を見守りみちびき、ときに倦み怠けることがあると「父上の悲願を忘れてはいけませんよ」と戒められた。私は敬愛する先生の教えにしたがって勉強せざるを得なかった。父が死に、師もこの世を去られてからは、年長の夫が私を支えてくれることになった。「才能がなくても俳句に打ちこんでゆけるようになれば仕合わせではないか」と夫は常にはげましてくれた。夫の助言を得て女だけの小さい結社を持ってからは、佳き弟子たちにめぐまれてたのしく句作し、一方「雲母」では、すぐれた龍太先生の傘下にあって舟月氏をはじめとする古くからの仲間たちと勉強する歳月を持つことができた。
夫に死なれた今後は、亡き師と父と夫に感謝しながら、このひとすじのみちをひとりで歩みつづけなければならないと自分にいいきかせているのである。

選評(敬称略)

「次元の高い俳句」 沢木欣一

 柴田白葉女さんが今回の蛇笏賞に決まったことはすこぶる自然で、すんなりと妥当な線であった。五〇年にわたる弛まない積み重ねが自ずから実を結んだといえる。女流の俳句が盛んであるのにくらべ、今まで蛇笏賞受賞」の女流は少なかった。ある限界を突き抜けるのがむずかしいのであろうが、白葉女さんはすでに早くから一家を為し、あせることなく大成された。
  水中花おきてなぐさむ刻もてり
 こういう心境にはなかなか到することができない。俳句と一枚になって生きてきた人の得た、かなしみとおかしさを裏表にした余裕ともいえる。正直で、しかも含蓄がある。
  いつまでも遠ちが日ざせり貝割菜
  箸つかふひとり秋嶺に真むかひて
  露の灯にまなざし深くものいへり
  浮寝鳥みてをり余生おもひをり
  ときわ木の幹に掌をあて春を待つ
 白葉女さんの句は言業平明で 安定性がある。そして簡単な素材を扱っていても切実さがある。小手先の技巧を越えた次元の高いところでいつも作句がなされていると思う。人目につきやすく、ねらった句作りとは異なる滋味がある。こういう滋味を現代俳句は失いつつあるようだ。村越化石について書くスペースがなくなったが、生きることの頂点を示してきた化石氏の業績に満腔の敬意を捧げたい。

 



「年輪の光沢・清洲な純粋さ」 野澤節子

 柴田白葉女氏の『月の笛』はなんでもない平凡な句とおもわれるものにも年輩の光沢を感じる。念々、自らつむぎ出してこられた詩の糸の執念の艶である。おそらく長い歳月を句に倦むことなどは知らずに今日に来られたのではなかろうか。お見事というほかない。女流の先達としても貴重な方だとおもう。牡丹一輪見飽きるまで見て暮らす
  いつまでも遠ちが日ざせり貝割菜
  蛇笏忌の雲のうごきのあたたかし
がいちばん好きであった。お人柄が出ている。
村越化石氏は同門であるだけに最初から作品を身近にしている。しかし、このたびの『端坐』は山中の一流水のような清測な句集であった。おそらく現代、これほど純粋に冴えた俳句を生む人は他にはないであろう。ここに至るまでの心身の修羅は並大抵の ことではなかったと思う。そうした過去の上に礎かれたものは追従を許さない。
  山の日を顔一ばいに啓整や
  種袋匂ひの花も一つ欲し
  毛布被て星の一つに寝るとせり
のような句にゆき当たると、やはり大野林火師の詠われた「盲化石」の一面の切なさを思うのだが、その何と清朗であることだろう。やすやすと行きっいた境地ではない。余裕さえ感じる。
  凍晴を障子もつとも知れるなり
  天地の光り巣翼にありぬべし
この純粋さを現代の混沌とした俳句の中に取り戻したい。

 



「感想」 森 澄雄

 久々に今回は村越化石、柴田白葉女の両氏の受賞となった。二名受賞は昭和四十八年の阿波野青畝、松村蒼石氏以来だが、意見の対立の結果ではなく、各委員とも、より積極的に両氏の受賞を推したからである。村越化石氏は周知のとおり若くして類を病み、草津楽泉園に生を養う作家。しかも両眼の明を失って十余年という。句集『端坐』にもへ指読ならず舌読なほや着膨るるなどの句があり、我々の想像を絶する境涯にあるが、句はいまや、境涯は境涯として、日常のやすらかな呼吸のうちに、かえっていのちの切なさを宿し、しかも温かく滋潤にして澄明の句境に至っている。もちろんこの作家のおのずからなる心の境位の所産、讃嘆のほかは雨も降り箱飯をうまくせり
  百千鳥寮とて水輪かなを
  龍枕眼の見えてゐる夢ばかり
  凍晴を障子もつとも知れるなり
 柴田白葉女氏は人も知る山鷹門。孜々として歳月を重ね、もはや女流作家の長老といっていい一人であろう。山鷹門にふさわしく、堅確の格調を持しつつ、女性の繊細とみずみずしい感性を失わず、しかもおのずから老の沈潜を深めて、ここに高風清朗の句境を現じている。
  人寝ねてさくら月夜ののこりけり
  小溝澄む真昼老爺の白緋
  いつまでも遠ちが日ざせり貝割菜
  ひととゐてひとを忘ぜし大焚火
両氏の受賞を心からよろこぶとともに、合わせて加餐を祈っておきたい。
 



「共に清潔なきびしさとやさしさ」 飯田龍太

 柴田白葉女さんの句歴は、すでに半世紀をこえた。しかもいまなお停滞するところがない。きびしい自省なくして適うとことではあるまいと思う。
 むろんその間には、懐疑、憂悶のときがしばしば訪れたにちがいないが、ついに初心を貫いて今日に至った。傍から眺めていて、時に「もうすこし、楽な気持ちになってはどう」ですか」といいたくなるような場合もあったが、氏は、おのれに甘えることのできないひととみえる。他を引き離して多くの推鞭を得、審査全委員が満場一致して受賞に賛した最大の理由は、『月の笛』に示され た 清潔な詩情と、持続の重みだろうと思う。
 さらにこのたびは、村越化石氏の受賞が加わった。きびしい境涯にありながら、氏の作品には境涯をこえた俳句の滋光がある。単明直載、ときに流麗な詩品を宿しながら、その底には常に人肌のぬくみがある。山本健吉氏の発言をきっかけとして、同時受賞が一気に決定したとき、委員の間に、ほっと吐息が洩れるような、不思議な安塔と充足のおもいが流れた。この感慨は、時を経るに従って胸のなかにみちみちていく感じがある。
受賞は、本来一名が原則にちがいない。が、このたび は共に見事な成果。賞の重みを倍加したものと思う。加えて、事務局の計らいに改めて敬意を表したい。
 


受賞者一覧に戻る