塚本邦雄
〈變〉の主題の段落『詩歌變』で、創設二年目の賞を得、このたびはまた、それも平成元年の酣春、鬱金櫻窈窕たる日の黃昏『不變律』に對して過分の褒賞を與へられるとの報に接した。三十年昔の、靑春歌集『日本人靈歌』をも加へ、十六册の歌集中三者共に屈指の愛著と自信を秘めたものゆゑに、そのたび、このたびの選者方の炯眼に、ただただ恐懼するのみである。
早速、その感動を具體化せむものと、前著以後一年半の既發表作品五百首を收めた第十七歌集『波瀾』原稿を、發行者の手に委ねた。私を支持信賴して下さる多くの知己には、これを以て滿腔の謝意に代へ、今日以後の可能性に挑む所存である。
受賞式の六月盡當日は、昨年初秋以來、營々と立案計劃しつつあった、バスク地方への旅の途上にある。多分フランス西端の美しい港市ビアリッツで、大西洋の薔薇色の夕映を眺めてゐるだらう。作歌四十年を越えての、言語空間の、大波瀾が、海境の彼方から迫つて來るのを凝視しよう。
「歌境のふかまり」 岡井 隆
塚本氏の歌も、『閑雅空間』『天變の書』あたりからであろうか、徐々に、その色調をかえて来たように思われる。
ピラカンサ夜(よる)の火の棘死の方(はう)へわれらまづゆるゆるとまゐらう
かろがろと殘生あらむこひねがひをりしも葡萄園大霙
こういう歌にみられる老いの承認ということが一つあろう。この人ほど、若年時より死をうたって来た人はすくないと思われるのに、最近の歌の死や残生や晩年に類する言葉のひびきが切実な実感をもってわたしどもに響くのは、やはり、歌の背後に作者を置いてみる伝統的な読み方をさそうところがあるからであろう。
もう一つは、〈歌の歌〉ともいうべき作品がふえていることだろう。
ゆきのしたの 群落足に薙ぎはらひ歌が何せむうたがなにせむ
まむかひて秋風を行く今生にわれは何を歌はざりしか
こうした作品群には、自己批評のいら立ちもあり、つきつめた歌学的な感慨もある。この二つの要素は絡み合って塚本氏の歌境を深め、且つ特徴づけているといえる。
「選評」 岡野弘彦
塚本氏は第十二歌集の『天變の書』以来、『豹變』『詩歌變』など「變」を志した歌集を出して、今回の『不變律』に至った。この歌集の跋文の中には、次の言葉がある。
「變を好み、變を志し、變に執し得るのは、ひとへに、短歌と呼ぶ黄金の定型詩が五句三十一音の、
永久不變の律に統べられてゐるからであつた。この當然、この常識化した不可思議に思ひ及ぶ時、
私はいまさら、不變の變、あるいは千變絕對不變とも呼ぶべ き形式を、初心に還つて追求、把握すべき決意に迫られる」
これは重い内容を持つ言葉である。戦後の昭和二十年代から、飽くなき前衛の変を黄金の不変律の上に求めつづけた作者は、そのゆくてにいまや、不変の変を見いだそうとしてこの言を成している。
何思ひゐしあかつきか夏萩の咲きはじめつつ散りそめにけり
母に逅はむ死後一萬の日を閲(けみ)し透きとほる夏の母にあはむ
塚本短歌の流れの中に、いまこうした「不変の変」の姿をもった歌が現れてきたことは、鬱然たる彼の歌の茂みが新しい瑞葉(みずは)を萠え出したものだと考える。その歌の「みづはくむ」力を祝福したい。
「深い地声」 清水房雄
巻頭に
千首歌をこころざしけるわが生の黃昏にして夏萩白し
を置き、巻末、氏の定数三百三十三首目に
曇天の底の銀泥 執しつつ歌をにくみて歌に果つるか
を置いて締め括っているのは、極めて象徴的である。併せて、集中、「歌」を歌ったもの、全首の一割強にのぼる異様さは何を語るか。由来「歌」を歌わずとする世の常識を、これは見事に突き抜けている。そして、それら「歌」の歌は、「歌てふおそろしきもの」「歌はわれのなになるべきか」「歌が何せむうたがなにせむ」「歌は殘り歌人ほろびて」「おそろし歌を捨てえざること」「何を歌と信じゐたるか」等々々、すべて懐疑と苦渋とに満ちた吐息が句を成し、目を驚かせる。外ならずそれは、「歌の何たるかを自問しつつ試行を續けて來た」(跋)ことの未だ自答を得ざる嘆声と聞き取れる。従来八宗兼学の重装一切を振り捨てた深い地声が、ここには響く。爾後追求の果如何は誰も判らぬ。ただ、人或いは魔の定型と呼び、黄金の定詩形と氏の称するこの不変の詩形式の真髄を把捉すべく、様々の「變」を試み続ける氏故にこそ、充足自得の日は永遠に訪れないかも知れぬ。果てしない峻坂を辿る何里塚かのこの一巻を手に、更に慾深い期待を寄せつつ、一献を呈したい。
「稀有なる料理人」 前 登志夫
世界がこんなに多様な相貌をみせるものかと、歌集『不變律』でも感嘆させられた。同じ材料をうたっても段ちがいに鮮烈なかがやきをみせる。稀有なる料理人の腕である。もう四十年近く、私達は塚本氏のマジックに陶酔させられた。
美しき雲助ひとり物くらへり三十日斑雪(みそかはだれ)の操作場にて
花冷えの志木公園に老女らがつどふ國かたむくるくはだて
霰ふるころなりけるがあられふり金槐集を貸しうしなへり
機智のたのしさ。エスプリは日本の詩の遙かな伝統であった。氏はヨーロッパの伝統からそれを持ち帰り、日本の詩歌の伝統を震撼させた。歳月のふかまりと共に、塚本氏のいわくありげな、得意の鋭い批評が底にしずめられ、ほろほろとただにたのしく自在なのを、私は好む。ひとまわり大きくなられた。
だが、この集でも、悲壮な詩歌論が主題となっている。
千首歌をこころざしけるわが生の黃昏にして夏萩白し
の巻頭歌はもとより、「黃泉平坂も歌枕にかぞふべき」「歌ひおほせて何はばからむ」「往きゆきてつひに還らぬ心」ついに「執しつつ歌をにくみて歌に果つるか」という、述志の巻軸歌にいたる。