「有季の世界、無季の世界」 三橋敏雄
後掲の〈略歴〉の冒頭にも記したように、私の俳句の出自はかつて新興俳句である。その上にも昭和十年の当時、先輩たちが鼓吹してやまなかった、無季俳句の実践から句作の道に入った。だから、いわゆる季を捨てて無季に走ったのではない。初めから無季俳句に
自己表現をかけたわけである。
そういう私に対して、それより先に「ホトトギス」の万年落選を経て投句をやめていた父は次のように諭し、一応の見識を示した。〈俳句をやるなら「ホトトギス」か「雲母」にかぎる。自由律なら「層雲」〉と。新興無季俳句には賛成ではなかったのだ。
始めてはみたが無季俳句は難しかった。やがて、並行して有季俳句の実作を試みるうち、季の詞のもつ喚起力の重要性を知った。すぐれた季の詞は、それ自体が一箇の表現として自立している。ひいてはこれを軽々しく使うことは勿体ないと思うまでになった。
しかし、顧みるまでもなく私は、いまだに無季の世界への魅力をおさえきれずにいる。いわゆる有季定型のみを俳句であると信奉する人たちにとって、私は異端者だろう。にも拘らず、このたびのことは、どうした風の吹きまわしかと思う。選考に当たられた四先生も悩まれたにちがいない。
いまは、前記の私の亡父の言葉にもあった「雲母」の、偉大なる前主宰、故飯田蛇笏翁の芳名を冠する本賞を拝受して、感慨なしとしない。有難く厚く御礼申しあげる。
「危険な道」 飯田龍太
『疊の上』の出色の作品には、二通りあるようである。
きわめて前衛的な発想を持った作品には、意外に伝統的な表現の配意を。逆に、一見古風に見える俳味の句の奥には、端倪(たんげい)すべからざる斬新な感覚が秘められている。
その点、『疊の上』は、たいへん危険な句集である。安直な気分で、気易く触れると、思いもかけぬ火傷をするかもしれない。こころして繙(ひもと)きたいと思う。
それはそれとして、過去二十何回かつづいた蛇笏賞作品のなかで、『疊の上』は、格別異彩を放つ一集であるように思われる。あるいはまた、この賞にあらたな恰幅を加えた一集、といってもいい。
多分受賞者三橋氏は、これからもこの危険な道を歩きつづけるだろう。読者にとっては、ますます愉しい眺めになるだろう。
「成熟の風」 金子兜太
昨年一年間の出版句集を通じて注目したのは、『人日』の成田千空、『疊の上』の三橋敏雄、『玄奘の道』の松崎鉄之介の三氏だった。句集それ自体では、成田、三橋両氏に、その人なりの成熟が承知でき、松崎氏の場合は過渡期の印象だったが、松崎氏は師の林火氏亡きあと、いっそうの意気込みが加わり、同時に自分の現在を目(み)つめる眼に複雑さが増しているように思えて、この後の句集を待ちたい気持が強かった。タフな人だから、これからの歳月など問題ではあるまい。
成田千空はかねがね注目している作り手で、陸奥の風土に根をおろして、時流の軽装おとぼけなどに一顧も与えず、暮しの実を表現しつづけている。三橋敏雄は戦前、新興俳句の文字通り若き寵児として期待を集めていた人だが、戦後はさらに季語の駆使を加えて語層を厚くし、無季語をも遣いこなしている。硬質淡白な韻律にこの人らしい成熟の風が見えていた。
「稀なる存在」 藤田湘子
俳壇に、今この人の俳句がなかったら淋しいだろうと思わせる作家は、そうたくさんはいない。むしろ稀である。三橋敏雄氏はその稀なる作家の一人と言ってよかろう。氏の蛇笏賞受賞が決定した後、あらためて『疊の上』を読んで、私はいっそうその感を深くしたのであった。
三橋氏は、言うまでもなく新興俳句系の作家である。そうした出自の発想を自在に駆使する一方で、伝統的表現をもたっぷり身につけて、まことに玄妙な俳句世界を現出している。稀で、得難い存在というゆえんもここにあるわけだ。
『疊の上』の諸作については、本誌五月号特集ですでに諸家が触れているところであるが、俳句は巧者であらねばならぬということも、私の読後の感想であった。巧者ということばは、浅薄な誤解をうけそうだが、『疊の上』の集中にちりばめられた十数句には、そうした誤解を寄せつけぬ巍然とした風格がある。見事な眺めであった。
「すぐれた書名」 細見綾子
本年度の蛇笏賞は三橋敏雄氏の『疊の上』にきまった。この句集名はすこぶる暗示に富み、同時にリアリティにも富んでいる。一番すぐれているのはこの書名ではなかろうか。
又『疊の上』という句集名はすこぶる俳句的であることにも感心をした。たしかな手應えのすっきりさ、がある。
私は三橋さんについてよく知らないけれども、この句集を読んだ以上知らないとは言われないたしかさ、があった。
この句集名に三橋さんの半生の、集約を感じた。これを俳句的だといいたい。
集中私の好む句をあげたい。
啓蟄や齒に付く嚙み菜まつ靑に
山國の空に山ある山櫻
秋茄子と遂に身の香を一にせり
花吹雪初めの一辨二辨かな
戰爭と疊の上の團扇かな