蛇笏賞・迢空賞

第57回「蛇笏賞」・「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.24更新
    第57回「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.14更新
    第57回「蛇笏賞」受賞作発表
蛇笏賞・迢空賞とは 設立のことば 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第24回迢空賞受賞
(該当作なし)

選評(敬称略/50音順)

「歌人の老い方」 岡井 隆

 例年、迢空賞の選考会が散(あら)けたあと、座をうつして、蛇笏賞の委員の人たちと同席するが、なんとはなしに、いつも出てくるのは、短歌と俳句の違いといった話題である。
 発生の古さという点からいえば、短歌が圧倒的に古い、と信じられている。万葉から算えても千二百年。他方、俳句は、芭蕉を起点とすれば三百年だ。ひらきは大きい、というのだが、すべての通説がそうであるように、発生説は疑おうと思えば疑えるのである。むしろ発生の古新よりも、その詩型の本質的な性格が、いつ形成されたかが、大事になってくる。わたしは、やはり、和歌を短歌(短詩)としてとらえ直した明治三十年代の子規・鉄幹が大事だとおもうし、俳諧をひっくりかえして俳句にした子規――虚子(ホトトギス)の力に注目する。近代の歌俳は、発生の時期を共にし、競合の関係にあり、今後もそうであろうと考えられるのだ。
 そこで、俳人には高齢者に、とぼけたような味のまろやかな人生達観型の俳聖があらわれるのに反し、歌人は、年齢と共にうるおいを欠き、老熟者が少ない。これはどうしてだろうということになるのだ。迢空賞の今後は、歌人の老い方と、重要なからみを持つ。老いて尚、青春性を喪わぬ歌人よ多かれと祈るのである。

 



「選考経過」 岡野弘彦

 今年もまた、迢空賞の候補歌集についてのアンケートに対して、例年と同じように多くの回答がよせられ、それに基づいて、四人の選考委員は、例年以上の長い時間と、はげしい討議をかさねて選考を行なったが、どうしても、受賞作品を一本にしぼりこむことが出来なかった。
 受賞作が無いというのは、迢空賞が設けられて以来、始めてのことで、まことに残念であるが、慎重な選考の結果そうなったことで、致し方なかった。
 迢空賞の選考が終ってから十数日のち、私は岩手県北上市に新しく設けられた、「日本現代詩歌文学館」の庭に立っていた。詩・短歌・俳句、それぞれ三つの異なる様式を持った詩文学のための綜合的な記念館は、東京では考えられないような広い敷地と、のびやかな建物のたたずまいを持っていた。今後もこうした、文学や詩歌のための施設は数を増し、内容も充実してゆくであろう。だが、一番重要な、詩歌の現実はどうなのだろうと考えずにはいられなかった。 いま、詩歌の言葉は急速に、その力を失ないつつあるという気がする。その中で本当に求められるものは、何よりも力ある作品以外には無い。詩歌文学館の庭で、私は現代に生み出されるべき詩歌の充実を、ひたすら願う心になって、立ちつくしていた。

 



「所感」 清水房雄

 従来は、長い時間をかけての討議ではあっても、委員の意見が比較的すんなりと一致を見たのだが、今回はどうもそのように事が運ばなかったのは、何とも残念であった。こうなってみると、これ迄さして気にならなかった事のいろいろが、一ペんに考えにのぼって来る。
 根本的には、この迢空賞の性格のいかにあるべきかという点。これは、ここ数年来、全国規模の大きな短歌賞が新たに次々と設定されて来た事により、改めて考えてみなければならないであろう。即ち、建前としては歌集賞であるが、著者その人の広く歌界・歌壇に対する業績如何の考慮――つまり、賞の対象が人か歌集かという問題。更に、その著者自身の数歌集中に於て当該歌集の占める位置の問題。また、一歌集としての総合的観点と、集中の作品一首一首の評価の問題。等々、きりも無いわけである。
 思いついて、第一回(昭和四十二年度)以降、第二十三回(平成元年度)迄の受賞者の年齢を一覧するに、四十代一、五十・六十代各十、七十代五、八十代一、の如くで、五十・六十歳代が最も多い。これは何を示すものか。
 俳句の方では、第二十二回(昭和六十三年度)蛇笏賞が受賞無しであったが、その事情はどうだったのだろうか。
 今、事新たに課題をつきつけられた思いがしている。

 



「迢空賞銓衡会雑感」 前 登志夫

 どんな賞にも、運・不運はつきものであるが、歌人として最高の業績のある作家で、その歌集が、その人の歌集の頂点であるようなものとなると、銓衡は容易なことではない。
 歌壇や俳壇は、特殊な狭苦しい社会である。世間狭い人間関係がものをいう、閉鎖的な伝統社会であるが、それなりにいい面もなくはない。ただ、こういう大きな賞になると、五年先、十年先の有力な候補者とその歌集は限られてくる。おまけに、「詩歌文学館賞」や「斎藤茂吉文学賞」などが創設されるに至っては、ますます限定されてこよう。
 そこで切実に思う。歌界は、競争レース用の歌人をどんどん作り、華やかに刺戟的に売り出すジャーナリズムを発展させたが(その功績をみとめる)、レース用でない歌人――偉大な生活者ともいうべき大きな「詩人」を育成する土壌を、喪失しているのではないか。そういうふところの深い伝統社会の良き体質を急速に失いつつある。
 「ソンナ賞ドッカニアッタケナ」というような歌人が出てこないものか。その意味で、『鳥池』と『鳩子』を一冊として、石川不二子さんをつよく推すべきだったか……。
 大きな詩魂が育成されるために今一番欠けているものは何かを考えさせられた。

 


受賞者一覧に戻る