蛇笏賞・迢空賞

第57回「蛇笏賞」・「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.24更新
    第57回「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.14更新
    第57回「蛇笏賞」受賞作発表
蛇笏賞・迢空賞とは 設立のことば 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第29回蛇笏賞受賞
『雨の時代』(東京四季出版刊)
鈴木六林男
【受賞者略歴】
鈴木六林男(すずき むりお)
大正8年(1919)年9月28日、大阪府泉北郡山滝村(現・岸和田市内畑町)に生れる。約2年間、中国大陸と南方戦線を転々。負傷帰還。泉大津市教育委員長、大阪芸大教授歴任。「串柿」及び新興俳句末期の「自鳴鐘」「京大俳句」に投句。戦前は「螺線」、戦後は「青天」「雷光」「頂点」「風」「天狼」同人。西東三鬼に師事。昭和46年「花曜」創刊代表現在にいたる。著者は『荒天』『定住游学』ほか十数冊。現代俳句協会賞・大阪府文化芸術功労賞。現代俳句協会副会長、日本ペンクラブ会員。

受賞のことば

「収斂はしない」 鈴木六林男

 私の出自は、旧「京大俳句」の新興無季定型俳句である。新興俳句には文法はなかった。書き方は自由であった。俳句を始めて二年目に従軍したが、この程度の技術(体験や経験)では巨大な組織からなる戦争は書けない。しかし、生死を日常のこととした戦場やそこでの人間の在り様なら書けそうであった。当然、戦争は政治の一形態である。私の眼を通した社会性(戦後の社会性俳句のそれと一括するにはいささか乖離)がある。負傷して戦場から還ってより流派の「派」(集)ではなく「流」(個・自己流)の俳句をどう書くかの方法を模索の道程で無季俳句に隣接して、ずいぶん長い歴史をもった有季定型俳句の存在につきあたった。私は、この勉強をしなければならなかった。遅れてきた青年であったことになる。
 ニヒリズムがヒューマニズムに通底する想い。間口をひろげすぎた戦争と愛は、戦争と親切くらいに視座を低くすること。
 おもえば、この句集を書いた十年間、私は酒を飲みながら考え、考えながら酒を飲んでいた。〈酒は燃料〉と言ったのは、ヘミングウェイ。だが今の私にはその体力はない。それでも主に拡大方策で収斂(しゅうれん)への軌道修正はしない。私の俳句は成算に不安を伴う開拓進行形。このような私の句集を選んで下さった選考委員に衷心より厚く御礼を申し上げる。

選評(敬称略)

「その志(こころざし)を」 飯田龍太

 随分前のことだが、鈴木六林男氏は、主宰する俳誌に、恰好のいい句よりも恰好の悪い句を、という意味の短文を記していた。そのころたまたま、私は読売新聞の時評を担当していたので、早速共感した旨(むね)の文を記した記憶がある。恰好のよくない「立派な句」――これほどむずかしいものはないのではないか。志(こころざし)あるひとの言(げん)と思う。
 今年は戦後五十年。なまなましい戦争の記憶は日々に遠い。だが、六林男氏は、いまなお戦争の傷跡を決して忘れようとしない。「恰好」云々の言葉は、多分、そこから生まれているのではないか。この一徹さは見事である。まこと、この賞にふさわしいひとであると思う。

 



「貫く志操」 森 澄雄

 この機会に鈴木六林男の句業を読み返したが、春陽堂文庫の年譜に昭和三十二年に「前年の『吹田操車場』で現代俳句協会賞受賞。加藤楸邨・森澄雄らと会う」とあって懐しかった。彼の初期の作〈遺品あり岩波文庫「阿部一族」〉〈水あれば飲み敵あれば射ち戦死せり〉〈かなしきかな性病院の煙出〉や、その後の〈天上も淋しからんに燕子花〉とともに、『吹田操車場』の〈吹操銀座昼荒涼と重量過ぎ〉など、当時選衡委員であったので、勤労者に注がれた彼のヒューマンな情熱に感銘したことを今も鮮やかに思い出す。昨年の「俳句研究」の対談で苛酷な戦場体験を語り合ったが、深い共感で思い出す彼の言葉に「ニヒリズムというのは深所でヒューマニズムと通底する」(座談会「体験と経験」花曜61・1)がある。今回の受賞句集『雨の時代』にもその志操の堅硬を作品の中に強固に貫かれている。金子兜太・佐藤鬼房、彼に僕も同年生れ。作風は全く違うが、ともに苛酷な戦場の体験をもち、俳句を生きて来たが、鈴木六林男の受賞に、ある意味で後継ぎのいない昭和俳句の終焉といった思いも僕にはある。〈立ててある敗戦の日の空の瓶〉〈彈創可愛いやわが死後の虎落笛〉――加餐を祈りたい。

 



「三候補への執念」 金子兜太

 候補リストで多数の人の推薦を受けていた五名――鈴木六林男、鈴木真砂女、古舘曹人、石原八束、沢木欣一のなかで、真砂女さんは読売文学賞を、欣一氏は日本詩歌文学館賞を、該当句集で受けているので、選考対象から外した。有力候補五名とあっては、他の賞とのダブル受賞は避けるほうがよいと考えた次第。
 残った、六林男、曹人、八束三氏については、兄たり難く弟たり難い、と考えて、他の選考委員の意向を参考にしたいとおもっていたところ、委員三氏とも六林男を推していたので、それに随ったわけである。その際、わたしが付け加えた意見は、二人授賞の線はないか、ということだったが、賛成を得なかった。有力候補の多いときなので、一考に値すると考えたのだが、この賞の長年の権威ということを考慮して、単独授賞止むなしとは相い成った。
 わたしは、八束氏の今回の句集には、氏独特の肉厚な内観と叙情に渋味が加わり、この人特有の俳諧が滲みはじめているとおもっていたので、このあたりで、の気持があった。また曹人氏にはこれを最後の句集にしたいとの意向があると聞いていた。潔い人だけにその潔さを飾りたい心意があったのである。

 



「感想」 藤田湘子

 今回は戦後五十年。俳句がその間どのように詠われてきたか、じっくりと検証して明日への展望を確かめる時機ではないか、とおもう。
 そうしたことを意識したわけではあるまいが、今回対象となった句集は、いずれも戦後の俳壇で特徴ある足跡をしるしてきた作者のものばかりであったから、選考の辛さとか、産みの苦しみといったことを、ことさら強く感じた。
 鈴木六林男氏は、いわゆる花の大正八年生まれ。その前後数年に生まれた人たちと戦後第一のトップグループを形成したわけだが、その作品の背丈、肩幅は、終始一団の中にまぎれることなく、明快に自己を主張しつづけてきた。
 私は、前句集『悪霊』のころから、そうした氏の風格の中に、何か仄めくものが育っているのを感じたのであるが、こんどの『雨の時代』でそれがかなりはっきりしてきた。言ってみれば、氏の俳句観や技法に対する自信と、そこから発する言葉のゆたかさである。そして『雨の時代』から過去へ遡って足跡を眺めるとき、そこにはっきりと“戦後”の起伏を感じることができるのだ。したがって、辛い選考であったけれど、結果的には有無を言わせぬ受賞であった。


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