蛇笏賞・迢空賞

第57回「蛇笏賞」・「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.24更新
    第57回「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.14更新
    第57回「蛇笏賞」受賞作発表
蛇笏賞・迢空賞とは 設立のことば 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第30回迢空賞
(該当作なし)

選評(敬称略/50音順)

「迢空賞にちなんで」 岡野弘彦

 今回は第三十回の迢空賞の選考であった。賞は言うまでもなく、贈ることを目的として設けられている。しかし一方に、歳月をかさねておのずから備わってきた、その賞の歴史と実績がある。この賞は従来から、いわゆる「全歌集」的な成果に対してというよりは、その年度内刊行の単行本としての歌集一冊の、新鮮で充実した内容に対して贈られてきた。
 今回も同様の視点から、慎重で熱心な選考のための討議がかさねられたが、残念ながら受賞作を得るに至らなかった。
 今年度の歌集にみのりが乏しかったわけではない。ただ、文学賞・短歌賞の数が多くなり、選考日の関係で、真に望ましい歌集が得られなくなるというめぐり合わせの生じてくることも事実である。
 この賞の名の由来である釈迢空 (折口信夫) は、賞にめぐまれなかった人である。それだけではなくて、中学三年生の頃からすでに、「万葉集略解(りゃくげ)」や「令義解(りょうのぎげ)」などを読みこんで独自の考えを書き入れたり、辞書「言海」をことごとく通読するほどの異能の持主であったが、卒業期の数学の課目に欠点を取って、一年落第する屈辱を耐えなければならなかった。後年、大学の教師となって、卒業期の学生の単位に絶対に欠点をつけなかったのは、少年期の苦しい体験によるものであった。
 その生前の時代は賞が少なかったせいもあるが、受賞したのはわずかに昭和二十三年の芸術院賞のみである。それも対象となったのは、詩集の『古代感愛集』であった。「本業の歌で賞などもらうのは恥ずかしいが、余技の詩の方での賞だから、もらっとくよ」と言って受けたが、授賞式には出なかった。
 彼の全著作を集めた『折口信夫全集』に対して、芸術院恩賜賞が贈られたのは、亡くなって四年経た昭和三十二年のことだった。
 歿後四十年を過ぎて、なお彼の学問と文学に与えられる評価の高さにくらべて、生前には真価の認められることの少ない学者であり、歌人であったと言えよう。その門弟であった角川源義氏が短歌賞を設定するに当たって「迢空賞」の名をかかげたのも、篤い思いがこめられていたわけである。

 



「状況と共に自身を突き刺す」 島田修二

 いずれにせよ、該当なしの結論に同意しているのだから、弁明の余地は無いように思える。ただ三年前の同じ決定とは、微妙に異なるところがあり、現代短歌の今日の位相とも無関係とは思えないので、共に考えてゆく手がかりを少々明らかにしておきたいと思う。
 三年前のケースは、ほとんど一人に絞られていた候補の作品が、もうひとつ向上を望み得るのではないかということであった。次の機会まで待った方が、作者に対してもより良いのではないか、ということで見送ったのだった。それに比して今回は、もう少し選択の余地が絞られていなかったように思う。候補にしても、必ずしも一人ではなく、有力な二、三があったこと、それも競い合うよりは、やや傾向の異なる二、三について、漠然としたもの言いになった感じである。そして決定的な一点に絞りきれぬまま、上記の決定となったのだが、言ってみれば現状にまたひとつの空位を生み出したことになる。状況への不満は、やがて短歌そのものへの不安に繋がり、究極的には自身を鋭く突き刺してやまない。
 より高いレベルを求めてつきつめながら、そのような作品が、今後出てくるかどうかという懸念に変わり、自身にあてはめてみるならば、深く大きく輝くというような作品は無縁のものになってゆくような寂しさを感じてしまう。
 私自身はもうひとつ、現代短歌が想像力の多彩さに向くあまり、実に即いた典型の美しさから離れてゆく傾向に、ある種の危倶を抱いている。より地道でありながら、しっかりと伝統を踏まえた 作品の中からすぐれたものを選び出したいという、 使命感をも抱いている一人である。しかし、そうした実質的な世界を反映しながら、より輝やかしい作品が出て来る可能性は少なくなっていると言わざるを得ない。決して無いものねだりではなく、過去の迢空賞のレベルに並ぶものをひたすらに待ちながら、自身の作歌にも大きく鞭を入れなくてはならぬと思っている。
 



「歌界百賞」 塚本邦雄

 一覧表でも作っておかないと、各賞一體幾つあるのか即答に苦しむくらゐらしい。濫立と言つた方が適切だらう。当然のことに無理矢理作り上げた感ある賞もなきにしもあらず、私自身、履歷に書き添へる気もしない某賞を賜つて往生した記憶がある。
 賞の何千倍かの歌集が出てゐると假定して、被銓衡本の数に不足はないやうに錯覺する。錯覺は錯覺に過ぎず、いざとなると、この書はこの賞のためにあつたと歎息を誘ふやうな例は百冊に一冊もない。たまたまあると、既に某賞受賞済み、重ねてというのもためらはれる例、これまた少くはない。
 また、たとへば茂吉・迢空のごとく、その「名」に適合し、顯彰・被顯彰の意味の限定された特殊な賞となると、受賞者・授賞者の双方に、 かなり周到な心構へが要求される。特に迢空賞ともなれば、その背後におのづから「折口信夫賞」がくつきりと二重写しになる。そのダブル・イメージにふさはしい受賞者を、銓衡委員は求めてゐるはずである。既往二十九回、必ずしもこれに合致してゐるとは言ひがたいが、故人名を謳つた幾つかの類似の賞など、てんで論外に近い。
 将来、北原白秋賞・土屋文明賞・前川佐美雄賞等々踵を接して生れる可能性はあらう。銓衡日が 次第に年頭に近くなり、一日でも早い方が理想に近い受賞者を獲得できると、先物の入札に類する奇現象も想定し得る。想定どころか、珍現象はすでに生まれてゐるのではあるまいか。そして今更是正もできかねよう。
 本年度の迢空賞、銓衡日が四月二十二日、これはといふ書はすでに他賞を受けてゐはしても、なほ、推奨に価するものがなかつたわけではない。だが、前述の釈迢空=折口信夫的イメージには、 かなりの距離を感じた。次善といふのは礼を失するが、あの碩学で特別の「歌聖」にといふ前提では、最善とは言ひかねる書が多かつた。そして敢へてこれを採るとすれば、恐らく三十一回以後に、 好ましからぬ前例を遺すことにならう。私はその 意味合ひから、いささかならぬ無念を嚙みしめつつ、「無し」に一票を投じた。

 



「歌のロゴス」 前 登志夫

 迢空賞の選考会に上京するたびに思うことがある。「歌の円寂する時」をめぐる複雑な思いである。大正十五年、島木赤彦の死の年に書かれたそのエッセーは、歌にも命数のあることを先ず述ベているが、単なる短歌滅亡論ではない。
 文学としての歌の復活を願って含蓄のふかい思索である。迢空が短歌の明日に危機をみたのは二つである。短歌に真の批評が乏しいということと、短歌作者の人間が出来ていないということ。むろん、〈批評〉も〈人間〉も、迢空独特の思索があって簡単には解けまい。
 いまそのエッセーに立ち入ろうとするのではない。七十年前に、迢空が渾身の力をしぼって考えた近代短歌への根源的な省察の姿勢に思いをいたすのである。
 さて、今日の短歌は隆盛なのか、それとも低調なのか。グループ歌誌の繁栄には目を瞠るものがあり、歌集刊行もかつてない豊饒さを誇っているが、それがただちに歌の隆盛を保証するものではない。
 心ある人は、すぐれた歌を読みたい、これぞという歌集に出会いたいと思っているにちがいない。 だが、本当にすぐれたものとは何を基準にするのか。せいぜいここ十年ほどの鮮度を保てば御の字とする趣向や、流行の衣裳が氾濫して、真贋の目利きがつかないのが実状のようだ。
 むろんいつの時代も、時流の潮があり、その勢いが大方を席捲してきたともいえよう。いま短歌は、相対的にみて時流に乗っている利点もなくはない。
 ただ、この潮流は、もしかしたら「歌」を根こそぎにする力かもしれない。いつの時代も、その時代の潮流に揉まれながら、時流を超える歌びとが存在したことも忘れてはなるまい。それが歌のロゴスかもしれぬ。
 七十年昔と格別に違っているのは、人間は、人間以前に根拠を発見せずには崩壊しそうな状況に来ていることだ。人間の魂は、いまや瀕死の状態である。そうした末期のこころの眼差が希求するものを思う。

 


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