蛇笏賞・迢空賞

第57回「蛇笏賞」・「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.24更新
    第57回「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.14更新
    第57回「蛇笏賞」受賞作発表
蛇笏賞・迢空賞とは 設立のことば 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第34回迢空賞受賞
『白雨』(短歌研究社刊)・『友の書』(雁書館刊) 
春日井 建
【受賞者略歴】
春日井 健(かすがい けん)
昭和13年12月愛知県生。南山大学中退。10代半ばより歌作を始め父瀇の編集する「短歌」誌上に載せる。33年角川『短歌』に「未青年」五十音を発表。ラジオや舞台の台本を書き一時歌作から遠ざかるが、瀇没後復帰「短歌」(中部短歌会)編集発行人となる。歌集『未青年』『友の書』『白雨』など。現在中日歌人会委員長。愛知女子短大教授。

受賞のことば

春日井 健

 迢空賞の報せを頂いて深甚に歓びを感じています。
 『友の書』『白雨』をまとめたのは、体調をくずして半年程入院したベット上のことで、その後も自宅静養を続けている私には、この賞は異界から届いたまれびとの贈り物のように思われます。若い日に、父と共に訪れた能登一宮の折口信夫春洋父子の墓処の辺の光と潮鳴りが忽然と浮かんできました。父としばしば二人旅をしましたが、その一つ、北設楽の花祭りも懐かしいものです。私達が尋ねたのは大入、山深い冬の里で、神下しに始まり明け方に登場する鬼が舞処で雄叫ぶに至るまでの長い時間、迢空の夢とうつつの歌の世界を追体験しました。
 『友の書』は、短歌を書き始めて以来の私の大事な主題である友人との交情を扱っています。歌集では、死を喩としたグラックの小説『陰鬱なる美青年』から歌い起していますが、ギリシャ神話や『饗宴』をはじめ多くの友情の書物を糧とした私の生き方を背景としています。『白雨』は私の日常生活に近いところで書きました。なかでも高齢の母と病を告知された友人とにやってくる運命とでも呼ぶべきものを何であれ簡明に写そうと意図しました。何が起こっても余儀ないことと感じていましたが、幸いにも平穏な日々を写し得ることができました。
 今後も心をこめて歌作に向かいたいと念じています。

選評(敬称略)

「白虹燦燃」 塚本邦雄

  火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて飛ぶ
  火祭りの輪を抜けきたる青年は霊を吐きしか死顔をもてり
  いらいらとふる雪かぶり白髪となれば久遠(くおん)に子を生むなかれ
 右三首は第一歌集『未青年』中の、作者の個性燦然たる一群の作中のものである。刊行時が一九六○年で、その年の齢二十二歳。一九七四年に第二歌集『夢の法則』、やがて『行け帰ることなく』、『青葦』等、読者を瞠目せしめた秀逸が次々と発表された。その秀作は今日もなほ、心ある人の胸中に生き続けてゐる。『青葦』以後の作をも通読して、その異(偉)才を追想したい。
  魂を占領されゐし哀しみの遙けくて今――自由な在野(フリー・ランス)
  廃品のくるまの山へ血紅の花束を投ぐジェームス·ディーン忌
  獅子座つめたき夜天にふさふ友なれば宇宙のはてにて死なむか孤り
  潮あかり顫へてとどく岩に寝て燕の誇りをわが誇りとす
 右四首、『行け帰ることなく』『青葦』、その後の作品中から選んだ。一九八四年まで、『夢の法則』から十年を閲し、今更感嘆の溜息を洩らす秀作が犇めいている。
  死などなにほどのこともなし新秋の正装をして夕餐につく 『白雨』
  マーラーの第五番第四楽章のアダージェット 月は全円を影となしたり
  つと触れし蘭花つめたし識閾に死がすべりこむまでの朝寒
  ジュリアン・グラック読みて日を経つ白晳の彼をいつしか親友として
  帰還せし軍服の父を避けをりき安息の場所たりし木の上
一九九七年以降二年間の作風は舌を捲くばかりの精彩と響きを兼ね備へ、既に受賞の三十三歌集に、いささかも遜色はない。十六歳年長の私自身、今更ながら、この作者の詩心の冴え、技法の確かさに感嘆し、心からなる拍手を贈りたい。私は十年の昔に、第十六歌集でやつと受賞した。

 



「成熟の一つのかたち」 前 登志夫

 第一歌集『未青年』の清新な新世界が、あまりに鮮烈な刻印を残しているため、春日井建のその後の歌が、平淡凡庸に見えたりした。ちなみに『未青年』の本誌での書評を書いた。かなり気負い立った編集者(中井英夫氏)からの依頼であった。
 詩は持続であるが単純ではない。天性のものを持った個性は、凡人の理解できない挫折や沈黙に陥るものだ。
 春日井氏はむしろたゆみなく、辛抱づよく、苦しげに持続してきた。若き日の非在の美の饗宴の罰のように、現実とのねんごろな和解の歳月に耐えてこられた。そうした日々の実りを、『友の書』と『白雨』にみる。
  誰も彼も泳ぎ去りにき性差(ジエンダー)を知らず波間にわがただよふに
  この部屋の薄暮にひとり惑ふべき若さの失(う)せぬうつしみを置く
  白波が奔馬のごとく駆けくるをわれに馭すべき力生まれよ
  苦しみも美(は)しく形とせしものの非情を愛しきたりぬわれは
 歌びとの成熟の一つのかたちをつぶさに見ることができる。歌集『白雨』では身辺の死や病いに苛まれ、かぎりなくやさしい眼差でうたいつつ、透明な美的様式に乱れはみせない。「いまだ為し得ざるひとつは汝が親への告知この秋の大事と思ふ」という、追いつめられた状態にあっても、すべては静かな劇(ドラマ)のような時空が展開する。
  エイヴォンの流れ未だに清くして受難劇(パツシオン)ひとつわが胸にあり
  病む者を癒やす秘蹟を伝へこしバースの水を買ひてさびしゑ
  病名は患者みづからに告げられき水のごとかりしかの夕つ辺に
  樫の大枝芽立ちけぶれる朝まだき五月柱(メイポール)立つ願遂げしめよ
 集中の、「リド島即事」など春日井氏特有の主題であるが、生老病死の現実が、この歌びとに新なる異界をもたらしたのだと思う。

 



「奇蹟的な存在を証す」 島田修二

 春日井建の『友の書』と『白雨』が候補に入っているのを知って、当然と思う気持の反面に、ある種の傷ましさが感じられてならなかった。今回だけではない。私は別の機会に、別の賞の選考にたずさわり、そこでも推したのだが、春日井は、いくつかの候補を押えて受賞する、というような状況に置くのにふさわしくないように思えてならない。
 春日井建の短歌は比較相対的というような存在ではなくて、より個別的絶対的なところに特色がある。このたび、久しぶりに『白雨』を、そして続けて『友の書』を刊行して彼の文学を愛する人たちを喜ばせたが、特に『友の書』の方は、昭和六十二年から平成八年までの九年間にわたる作品集で、自ら「一冊の本をまとめることの意味をこれほど私に感じさせる歌集はもう出来ないのではないか」(あとがき)と言わせている。
  音立ててひとしきり雹降りしきり倫理のごときものに打たれつ
  死を見よと直視のできぬもの見よと青澄む潮のいざなひやまぬ
 このように、二首を引用するだけでも、もうひとつ、この歌集の全容から遠のいてみえる感じがする。彼の親友浅井愼平装幀の一冊まるごとを、心から味わって欲しいという気がする。
 もう一冊の『白雨』は、対照的に平成九年三月から十一年二月までの十三篇の連作を収録したもので、こちらの「あとがき」には「作歌姿勢を常より少し実人生に近いところに置く」という方針を明らかにしている。
  薄明のもののかたちが輪郭をとりくるまでの過程しづけし
  朔の月の繊きひかりが届けくる書けざるものなどなしといふ檄
 『友の書』が多く、外国人を含めた友人とのかかわりを主題にするのに比べると、『白雨』は肉親や、より身近なものを描いている。しかし、日常にべったりとしたテーマそのものが突出しているわけではない。私にとっては、春日井の存在そのものが奇蹟であるように思えるし、このたびの二冊は、その存在を証した書というほかはない。

 



「生新から重厚へ」 岡野弘彦

 春日井建氏の歌集は二冊が、今回の迢空賞の受賞対象となった。その一冊『友の書』は昭和六十二年から平成八年までの作品を収めた第六歌集で、昨年の十一月に刊行された。
 もう一冊の『白雨』は平成九年から十一年までの作品を収めた第七歌集で、昨年の九月に刊行されている。
 氏はよく知られているように、若き日に歌集『未青年』によって、みずみずしい歌人として登場し、人々の注目を集めた。実は氏の父、春日井瀇氏も気迫のはげしさと結晶度の高い作品を詠む、すぐれた歌人であったから、私などは父上の血が新しい時代の新鮮な息吹を得、歌のよみがえりを持って、建氏の歌として新生したように感じ、歌の家のよろこぶべき事だと思って注目していたのであった。
 だがその後、十年ほど氏の歌集を見ることはなかった。そしてやがて二冊ほどの歌集を経て、『青葦』を読んで、氏の才能が青年期のきらめきを引きながら、重厚なみのりを結びつつあることを知ったのであった。
 今回の二冊の歌集のうちでは、私は第七歌集の『白雨』により注目し、その歌境に意義を感じた。『友の書』の方が従来の氏の歌風によって、のびやかに詠われていると見る人もあろう。だが『白雨』の方の変化に、より確かな歌風の深化が見られると私は考える。
  秋天の梯子見て過ぐ娶らざりし子を知らば父は慰さまざらむ
  吹ききたる風がしばらく葉ごもりて幽(かす)かに搖るる樟の大木
  大きいドア押して入りし正面のガラスのむかう青潮は満つ
 後の二首などは、従来の春日井氏の歌を愛好する人達から見ればおとなしく地味すぎると感じられるかもしれぬ。また「空の梯子」を喩として詠んだ歌は前にも作られている。しかしいずれの場合にも、『白雨』の詠風の中に、氏の歌境の重厚な深まりを見ることができる。よって今回の迢空賞は、春日井健氏の二歌集に贈られることがふさわしいと考える。
 中部短歌会を率い、結社誌「短歌」を主宰する氏の歌業のすこやかであることを願う次第である。

 


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