高野公彦
学生時代、石川硺木の『一握の砂』を読み、歌を作り始めた。作歌のかたはら、いろんな歌人の作品を読んでいつた。やがて私は、山本健吉の文章を通じて迢空の歌を知り、『海やまのあひだ』を読んだ。
人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。
旅寢かさなるほどの かそけさ
をとめ居て、ことばあらそふ聲すなり。
穴井(アナヰ)の底の くらき水影(ミヅカゲ)
迢空の歌は、その背後にふかぶかとした時間と空間を湛へてゐるやうに感じられた。読むだけでは満足できず、毎日、大学の図書館に通つて、歌を一首一首、大学のノートに書き写した。この作業を通して、私は「寢」「聲」などの正字を知り、また旧仮名遣ひを習得し、たくさんの古語を覚えた。そして何よりも、歌とは何かといふことを教へられた。さまざまの意味で、迢空は私の《導師》である。ノートは今でも大切に保存してある。
その迢空の名の付いた賞をいただくことになり、感慨ひとしほである。選考委員の方々に心より感謝したい。
水苑へ迢(はる)けき空のひかりかな 公彦
「迢空」とは、遠い空、高い空の意らしい。で、喜びの気持を託して一句詠んだ。稚拙な句であることは、言ふを俟(ま)たない。泉界の迢空は苦笑してゐるであらう。
「短歌の明日を感じさせる歌集」 岡野弘彦
今年は、幾つかの内容豊かな歌集を読むことができて、歌の豊饒を感じさせられる幸福な年であった。中でも高野公彦氏の歌集『水苑』は、読むにつれて心のほぐれる楽しさがひびいてくる上に、歌の未来に関する刺戟や暗示を受ける歌集だった。この歌集は、平成七年から十年までの作品から、五五〇首を選んで編集され、その「あとがき」に次のように言う。
この期間、生活に大きな変化はなく、ただ普通に生き、普通に年を取った。つまり、少し老いたのである。老いは、かすかに身に現れ、そして心に淡(あは)い悲壮感をもたらした。
個人の生き方のありようと、微かな老いのきざしによる変化が語られているが、実はこの数年間は、多くの日本人もここに記されているのと同様に、徐々につのってくる世の停滞感と生の淡い悲哀のような思いを抱いて生きたはずであった。そうした世相の中の普通の生き方から、高野氏が歌の上にみちびき出し、歌い出してきた作品に、私は戦後の歌壇の傾向に無かった歌の内容を感じて、新鮮な思いがしたのである。
街角を曲がればそこに真葛原ありと思ふまで青き月夜ぞ
なきがらの枕辺に立つ箸ありてネコ科のまなこ闇に光れり
月光に日のぬくもりを感じつつ夜ざくら白き坂をのぼりぬ
いのち終へ落ちて食はるる野の鳥の生を剛直の生と思へり
人が梯子を持ち去りしのち秋しばし壁に梯子の影のこりをり
透明感のある中に、その奥に未分明なものをしこりのように持った時間・空間を包含して、しかも歌の姿は実にすっきりと示されている。この集に多い近代の歴史上のむごさや、宗教の矛盾を詠んだ歌も現代性を持っているが、ここにあげた類の歌には、歌の明日を思わせる新鮮さを私は感じる。
詩歌文学館賞と二重の受賞になるが、迢空賞の本来の意義を考えると、それも当然のことだと思われる。
「高野公彦氏の近業」 前 登志夫
高野公彦氏が近年髭を生やされたと家族がいう。NHKの短歌の番組をなぜか一切見ないので、わたしはいまだに拝観していない。はたしてどんな風格を生じているのか、お目にかかるのが愉しみである。
家ごもり心は街をさまよひぬ牛蒡の煮ゆる甘き香の中
やはらかき肉をたづさへはるばると海より来たる鰺に小骨あり
息ふかく山鳩鳴ける夜明けがた黄金(わうごん)の雨となりたし我は
「ひかり」にて通りかかれば富士山は朝寝たのしみ雲の中にゐる
蜂の巣に蜜たまるころふうはりと雲のうしろに輝く雲あり
思わず溜息が出るように豊かなものがある。高野家の牛蒡の煮〆めは、哀しいほどうまいだろう。この鰺は世界の憂愁をそっと奏でる小さな楽器のようだ。夜明けの黄金の雨は、作者のとっておきの禊(みそぎ)のようなひびきをたてているにちがいない。こんな具合に朝寝している富士山をたれもうたわなかった。蜂の巣にいつしか蜜がたまるように、作者のやや疲れはじめた詩嚢には、千数百年来の詩歌の豊饒な蜜が溢れていよう。
「これがまあ二十(はたち)の子かと思ふまで机の下に艶(にほ)ふ太もも」――女子大生のみずみずしさに対峙する髭の歌びとの無防備な姿は絶品であろう。「高野(あいつ)にはちよつと優しくしてあげて飲ませてごらんあつぱらぱあとなる」ともうたう。読者であるわたしが冷汗三斗の思いになる。
「とびとびに原発のある豊葦原瑞穂国よ吃水ふかし」「白桃の身に蔵(しま)ひたる瀬の音の、上つ瀬は迅(はや)し下つ瀬は弱(やさ)し」「楠(くす)を仰ぎ早口言葉たのしめり 楠の若葉は楠若赤葉(くすわかあかば)」「月光に日のぬくもりを感じつつ夜ざくら白き坂をのぼりぬ」……。
抄出しているときりもない。高野氏は自我の小さな批評の小刀を振りまわすのではなく、宇宙的なリズムとしての自己を創造されている。「いのちなりけり」とわたしは呟く。
「立ち上げる抒情の典型」 島田修二
高野公彦歌集『水苑』は、昨年度刊行の歌集の中では勿論のこと、近年を併せて収穫と言ってよい、すぐれた一冊である。昭和十六年生まれという、今までの受賞者の中でも、もっとも若い年代でありながら、第九歌集という実績を重ね、初期歌集の『水木』『汽水の光』以来、充分にその完成度を評価されて来た人だけに、時宜を得て迢空賞受賞となったことは、短歌界の慶事と言ってもよいことであろう。
芹食へば水の香りす七曜の無きしづかなる芹の歳月
あやまてばたちまち〈母〉となる君らいつしんに我のテスト解きをり
置きざりの古自転車に風吹けり日すがら吹きて風も傷みゆく
曖昧なところがなく、尋常ではない把握に歌を詠むよろこびを与えられる。前歌集『天泣』は、人生上の一転機とも重り合ったが、今回の『水苑』において、作者は「あとがき」で「この期間、生活に大きな変化はなく、ただ普通に生き、普通に年を取つた。つまり、少し老いたのである」と記している。もっとも若い受賞者であるが、元来、老成をたのしむところがあり、手ばなしで自身の作品の工房をみせているのである。私には、そのことに、むしろ積極的な、立ち上げる抒情の典型をみる思いがする。
なきがらの我に添寝をして呉るる銀漢ありて寒し夜空は
世の中をひととき離れ世の中の雑踏ゆけり吾木香さげて
走りゐる電車の中をわれ歩く重く揺れやすき人体として
従来の高野公彦の世界を大きく変えるものではなく、むしろ、存在の奥行をみせるおもむきであるが、その奥の深さはまだ見せていない。
長くこの賞の選考にかかわって来て、この充実した一冊を選び得た。作者は「深い悲哀感」を覚えているようだが、それさえも、読む者に限りない慰藉を与える。この一冊を長く座右に置くつもりである。