「生生しく、深く」金子兜太
昨秋から今春にかけて、同年の俳人の死が相次いだ。沢木欣一、三橋敏雄(一歳年下だが)、佐藤鬼房、安東次男(詩人というべきか)。昨日(四月十六日)、その安東の葬儀にいってきたばかりである。
いわゆる戦後俳句の渦中をともに過してきた同年者といえば、あとには、原子公平、森澄雄、鈴木六林男、私の四人を残すのみ。欣一の死のときには、電話で公平と、鬼房を告別する集まりが塩竃で行われたときは六林男と、次男のときは澄雄と、頑張って生きようや、と声をかけ合ったものだったが、一人になっても、これからもしぶとく生きて俳句をつくりつづけるしかない、と自分にいう。一九一九年生れ、つまり一句一句しか能のない男と思い定めよ、と自分を励ます。顔を死に向けての世迷い言はいうまい。虚勢と見られようとも、「死んで花実が咲くものか」といいつづけていきたい、とも。――この言い草は、長崎の俳友隈治人が、病に倒れたあともずうーといいつづけていた由(よし)。治人のあとを継いで「土曜」を主宰している山本奈良夫から聞いた。
俳句は「日常詩」。一般性のなかに一流性を抱懐するものなり。その日常を生生しく、深く、生きていきたい。
「適切な合意に」 飯田龍太
金子兜太に会うといつもたわいないことで意見が対立する。仕掛けるのは毎度金子の方だ。私は争いごとは好まぬから応答はふた言三言。いわゆる相性が悪いのだろう。ただし蛇笏賞の適否に相性は何んの関係もない。
金子は青壮年期すでに多くの代表作を持つ。終始反伝統の姿勢を崩さない。多くの俳人が芭蕉をたたえ蕪村に共感するなかで一茶に親近し山頭火をよしとする。
また同年配の俳人が加齢の宿命を負うなかでひとり意気軒昂。特に今度の書名は今までのどの句集名より恰幅がいい。委員の適切な合意であったと思う。
「いのちの原郷」 成田千空
今回は二人の受賞を考えたが、一人にしぼるべきだという意見がつよく、金子兜太氏の『東国抄』に決まった。俳句の芸としての完成度からみると、危うさをはらんでいるが、俳句の陥りがちな類想を寄せつけない、一回きりの潔さがある。混沌とした情意からデモーニッシュな発想が生まれ、言葉を摑みとる作風であるが、近年、秩父の原郷への思いが深まり、野生と共に感性のこまやかさがにじみでてきたようだ。
おおかみに螢が一つ付いていた
秩父にまだオオカミが生きている〈少くともわたしのなかでは、いのちの存在の原姿として生きている〉という。それにつけても、一つの螢のやさしさに惹かれる。
よく眠る夢の枯野が青むまで
鳥渡り月渡る谷人老いたり
太陽は大きくて黄色牛蛙
朝寝してなお朝日なる山河かな
茂りあり静かに静かに妻え癒ゆく
兜太氏のいのちに期待したい。
「大きな収穫」 藤田湘子
『東国抄』を読みながら私は、兜太氏の第一句集『少年』のことをしきりに思った。『少年』の中の「結婚前夜」「竹沢村にて」あたりの作品は、最初読んだときから刺戟を受けたものだが、兜太という俳人を眺めるとき、私はいつもここを原点として思いをめぐらしてきた。
『少年』以降の兜太俳句の展開についてはさまざまな見方があろうが、私はいつかはこの原点に立ち戻るだろうことを信じていた。『東国抄』はそうした積年の思いを満たしてくれた。「あとがき」に「雅(が)の世界でなく野(や)の世界に自分の俳句をおきたい」「『土』をすべての生きものの存在基底と思い定めて、自分のいのちの原点である秩父の山河、その『産土(うぶすな)』の時空を、身心を込めて受けとめようと努める」とあるが、この句集の本質はまさににこの言葉に凝縮されている。
野太く闊達で、類を見ぬエネルギーが字間行間にあふれていた。しかもここで終りではなく、なお先先への大きな期待に充ちている。現代俳句の大きな収穫と言えよう。
「山河の風土 精神の風土」 宇多喜代子
本年の蛇笏賞にふさわしい句集として、金子兜太氏の『東国抄』を推しました。
『東国抄』は、金子兜太氏の第十三句集ですが、ここに至るまでの句集の歴史があってこそのものであると思われるところが随所に見られる厚みのある句集でした。
一句一句の量感の重なりに加わる歳月の重みが、「山河の風土」「精神の風土」の風景を展開させる底力となっているのです。一巻に流れる「東国」即ち「産土」の自覚が、けっして今日や昨日になったものでないこと、紙とペンで軽々と書かれたものでないことが伝わる実感を是といたしました。
〈じつによく泣く赤ん坊さくら五分〉〈妻病みてそわそわとわが命(いのち)あり〉〈おおかみに螢が一つ付いていた〉〈龍神の走れば露の玉走る〉など、いのちへの慈しみが深く表現されている句として印象に残りました。
口当たりのよい句ばかりではないのですが、きれいに整合された句集にありがちな退屈とは無縁であるところも、この句集の魅力でした。金子氏のますますの御加餐を祈ります。