「生の証し」鷲谷七菜子
蛇笏賞ということばは、今日までの私にとっては遠い遠いものでございました。昭和五十二年に私の師であった山口草堂が第十一回のこの賞を受賞しましたが、それと同じ賞を私が頂くことになろうとは夢にも思っておりませんでしたので全く驚きました。しかし今の私は先師と同じ賞が頂けたということに何ともいえない懐かしさと喜びを感じております。
今日までの自分の句歴を考えましたとき、「馬醉木」から「南風」へ基本的には一筋の道を休詠もなく続けてきたこと、自分の作品に希望と失望を繰り返しながら結果的にはそれが自分の生の証しとなっていたことが何より良かったと思っております。
句集の上梓とはきびしいもので、ということは結局自選のむつかしさということですが、私自身なるべく自分を突きはなして厳しく自選をしているつもりでも日を経、年を経て読み直したとき後悔することがよくあります。
今私は自分の俳句作品が、いよいよ生の証しとなったというよろこびを感じております。ほんとうにありがとうございました。
「完成度の高い句業」 成田千空
句作六十年。美の探求に費やした歳月であろう。句集を読んだ後味に浸って、じっとしていると妙に心の安らぎを覚える。たとい物憂い発想でも、美に転化する表現のかたちがある。
踏青のこころの端の傷みごと
擦り足に晩年の来る百千鳥
山茶花は咲くより乱れごこちかな
「沈黙の中に思いをひびかせる俳句という詩型」と作者はいう。たしかに沈黙の中に動があり、美がある。俳句という詩型の完成度に注目すべきものがある。
葉を洗ふ雨の音して文月かな
草深くなりたる家の幟かな
紫陽花の見せはじめたる淵の色
落つる日の早さの見えて大冬木
行く年の見まはしてみな水の景
この静かに澄んだ句境の奥に、永遠が感じられる。ものの見えたるひかりにほかならない。
「絢爛たる沈潜」 鷹羽狩行
終始、『晨鐘』を推した。
どことなく水滲み出て春の山
自然と一体化した摑み方で、春山の本質に迫っている。
草深くなりたる家の幟かな
〈草の戸も住み替る代ぞ雛の家 芭蕉〉の桃の節句の句と好一対。
寒月のいつのぼりゐし高さかな
この句も〈夏の月いま上がりたるばかりかな 久保田万太郎〉と、冬と夏の月の句の双璧といってよい。
こうした一字のゆるぎもない作品が並び、陰影というよりも幽玄、絢爛たる沈潜とでもいいたい世界が展開されている。
鷲谷七菜子さんは、舞踊の家元に生まれながら、事情あって俳句を一生の仕事と決めた。この点、松本たかしが病弱のために能役者を継がず俳句ひとすじとなった生き方に似ている。そればかりか、気品や洗練された美意識にも通うところが多い。
あとがきに「自分の性格の寡黙さが、この詩型を選ばせた」とある。まさに「艱難汝を玉にす」を思わせる一巻である。
「ひたむきな資質」 宇多喜代子
数年前、鷲谷七菜子さんの第一句集からをつぶさに読み、その一途で、求道的で、真摯な俳句に圧倒されたことがあった。句集の一冊や、俳誌などに発表された句を十句、二十句読んでいたときにはわからなかった鷲谷さんの真面目でひたむきな資質が一塊になって迫ってくる、そんな感じであった。
大正末期生まれの独身女性にとって、実生活の不条理や不如意と同じ身丈の俳句こそが、生きているという実感を抱かせていたのだ、そうも思った。そんな、やや疲労感を伴う初期の俳句から幾年かを経ての『晨鐘』には、〈どことなく水滲み出て春の山〉〈大きな足ばかりが過ぎて蕗の薹〉のような句がある。鷲谷七菜子さんの句境の表面から、あきらかに私情が淡くなっている。
それがいいとか、よくないとかではなく、他の流れに紛れぬ自分流の句作を続けてゆくことを通した結果なのだと思う。
端整で、完璧にすぎる感なきにしもあらずであったが、それでこそ鷲谷七菜子なのだと思い、『晨鐘』を第39回蛇笏賞に推した。
*今回より選考委員にお加わりいただきました福田甲子雄氏は、四月二十五日に逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。